婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)

"矢島揖子"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
明治34年(1901) 5月 △婦人のみの演説会初めて神田錦輝館に開かる、岡山孤児院後援の為なり、弁士は矢島揖子、鳩山春子、潮田千勢子、大和関子、炭谷小梅の諸氏。鳩山女史は之が初舞台なり
大正3年(1914) 1月 △日本基督教婦人矯風会長矢島揖子[矢島楫子]女史以下六百二十四名島田三郎氏の紹介にて有妻姦を有夫姦同様に罰する請願を例年の通衆議院に提出す
大正5年(1916) 1月 △日本基督教婦人矯風会長矢島揖子[矢島楫子]女史外千余名は姦通に関する刑罰を男女同一ならしむる請願を衆議院に提出す
大正7年(1918) 1月 △婦人矯風会長矢島揖子[矢島楫子]女史処女の貞操保護の為に三沢千代女に代つて奸商を相手取り訴訟を提起す
5月 △八十六歳の矢島揖子[矢島楫子]女史九州四国の行脚伝道に出発す
大正9年(1920) 9月4日 △四日万国婦人矯風会へ日本を代表して出席したる矢島揖子[矢島楫子]女史英国より帰朝
PAGE TOP