富岡製糸場『富岡製糸場誌. 下』(1977.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政6年(1859) 5月28日 幕府、神奈川・長崎・箱館を開港。露・仏・英・蘭・米の諸国と貿易を許す。 国のうごき
6月8日 甲州屋篠原忠右衛門生糸を外商に売ることについて奉行所の許可を得る。 国のうごき
万延元年(1860) 1月13日 勝安芳ら、咸臨丸でアメリカに向う。 国のうごき
3月19日 雑穀・水油・ろう・呉服・生糸の神奈川直送を禁じ、江戸問屋経由を命じる。 国のうごき
4月12日 幕府、外国銀銭の時価通用を指令。 国のうごき
6月21日 ポルトガルと通商条約に調印。 国のうごき
12月14日 プロシアと通商条約を締結。 国のうごき
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
1月 幕府、フランス皇帝ナポレオン三世に蚕種数万枚を贈り、返礼として名馬二十六頭を受ける。 国のうごき
3月23日 幕府、五国へ両港両都の開市開港延期を要請。 国のうごき
文久2年(1862) 1月 上州岩田某初めて熨火糸を横浜に売る。 国のうごき
2月11日 和宮と家茂との婚儀が成る。 国のうごき
- この年、伊勢室山伊藤小左衛門初めて工女二人を雇い手繰製糸をなす。 国のうごき
文久3年(1863) - 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 渋沢関係略年譜
5月12日 井上馨・伊藤博文ら英国留学のため出発。 国のうごき
8月13日 攘夷親征の詔勅出る。 国のうごき
9月14日 幕府、横浜鎖港を米蘭に提議。 国のうごき
9月24日 幕府、再び生糸等五品の神奈川直接積出しを禁止。 国のうごき
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
4月14日 将軍家茂、横浜鎖港を奏上。 国のうごき
4月25日 英・仏・米・蘭、下関通航・横浜鎖港に関する覚書を幕府に通告。 国のうごき
6月 幕府、横浜への生糸回送を停止。 国のうごき
6月 横浜生糸売込商集議の上総代を江戸問屋に送り、取引口銭等請求し承諾を得る。 国のうごき
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