(社)日本綿業倶楽部『日本綿業倶楽部五十年誌』(1982.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
3月15日 昭和金融恐慌はじまる。
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
9月2日 大阪ホテルにおいて日本綿業倶楽部創立協議会開催、岡やす子殿より申し出ありし寄附金壱百万円を受領し綿業会館建設を決定、創立委員長に谷口房蔵氏を選任。谷口房蔵氏日本綿業倶楽部初代会長に就任、事務所を大阪市北区中之島二丁目二十五番地に置く。
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
2月3日 会館建設敷地を大阪市東区備後町三丁目に決定。
4月8日 第一回定時総会。
7月2日 浜口内閣成立。財政整理、消費節約を強調す。
10月24日 ニユーヨーク株式市場大暴落、世界恐慌はじまる。
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
1月11日 金輸出解禁。
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
4月1日 重要産業統制法公布。
9月18日 満洲事変はじまる。
12月13日 金輸出再禁止。
12月31日 綿業会館竣工。
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
1月1日 綿業会館開館。
1月28日 上海事変おこる。
2月5日 綿業会館落成披露会開催。
3月10日 国際連盟満洲調査団リットン卿一行歓迎会開催。
9月15日 満洲国承認。
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
1月25日 国際連盟脱退。
8月22日 故岡常夫氏銅像除幕式挙行。
12月15日 紡績神社の遷座式を行う。
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
10月20日 イギリス産業視察団バーンビー卿ら来館。
PAGE TOP