※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 京都写真工業(株)の経営に参加 | 当社関係事項 | |
12月 | 太平洋戦争勃発 | 業界・一般関係事項 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 企業整備令公布 | 業界・一般関係事項 | |
9月 | 陸軍よりジャワの製紙向上経営を委託さる(20・8撤退) | 当社関係事項 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 小西六本店・六桜社合併し小西六写真工業(株)となる | 業界・一般関係事項 | |
5月 | 大王製紙(株)設立 | 業界・一般関係事項 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 京都写真工業(株)を合併し、京都試製工場とする | 当社関係事項 | |
4月 | 紙統制(株)設立 | 業界・一般関係事項 | |
8月 | 浪速製紙(株)を合併し、浪速工場とする | 当社関係事項 | |
8月 | 資本金一〇九八万円となる | 当社関係事項 | |
12月 | 京都試製工場、軍需省より透明感光紙に限り操業許可を受く | 当社関係事項 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 京都試製工場を京都工場と改称 | 当社関係事項 | |
8月 | 太平洋戦争終結 | 業界・一般関係事項 | |
11月 | 制限会社に指定さる(24・11解除) | 当社関係事項 | |
11月 | GHQ、日本財閥解体指令 | 業界・一般関係事項 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 旧円を新円に切り替え | 業界・一般関係事項 | |
5月 | 京都工場、白黒印画紙を発売 | 当社関係事項 | |
8月 | 特別経理会社に指定さる(24・8解除) | 当社関係事項 | |
8月 | 三菱製紙労働組合連合会結成 | 当社関係事項 | |
8月 | 中川工場、内閣印刷局の作業請負が生産の主力となる(24・6打ち切り) | 当社関係事項 |