※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安政2年(1855) | - | スウィフト会社創業、ド・ミリー、高圧分解法特許 | 海外 |
安政3年(1856) | - | 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 林健卿訳補・〓[究の九が瓜]篤児薬性論 | 日本 | |
- | 蕃書取調所設置 | 備考 | |
安政4年(1857) | - | 英国トムソン、硬苛性ソーダ用ドラム缶発明 | 海外 |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | レイノルヅ、石鹸廃液よりグリセリン回収を試む | 海外 | |
万延元年(1860) | - | 宇田川興斎訳・万宝新書 | 日本 |
- | 安政開港 | 備考 | |
文久元年(1861) | - | 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | カリ(ポタシュ)工業擡頭 | 海外 | |
文久2年(1862) | - | ロンドン万国博においてゴッセージ会社出品水ガラス受賞 | 海外 |
- | 崎陽点林堂主人著・秘事新書、橋本玉蘭斎編・横浜開港見聞誌前編 | 日本 | |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ノーベル、ニトログリセリンの爆発性能発見 | 海外 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米国バビット棒状石鹸製出、ベネット、ギブス高圧鹸化法特許 | 海外 | |
- | 橋本玉蘭斎編・横浜開港見聞誌後篇 | 日本 | |
- | 対外条約勅許 | 備考 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ノーベル、ダイナマイト発明、白国ソルベー、アンモニアソーダ法発明、シーメンス発動機発明 | 海外 | |
- | 坪井信良著・新薬百品考 | 日本 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 王政復古号令 | 備考 | |
1868年 | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ワグナー来朝、ワルシュ・ワグナー工場建設 | 海外 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 英国において蒸気釜普及 | 海外 | |
- | 大阪舎密局開講 | 日本 |