※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 版籍奉還 | 備考 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 廃液グリセリン回収米国特許、ドイツ、ソルベー法ソーダ工場創始 | 海外 | |
- | 英国グリセリン工業興隆 | 海外 | |
- | 京都舎密局開講 | 日本 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 戮明舎、洗濯ソーダ工場設立 | 日本 | |
- | 廃藩置県 | 備考 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ブラナー・モンド会社創業、ピート・ブラザース会社創業 | 海外 | |
- | 宇都宮義綱著・開物叢説、英人フィンチ、大阪造幣局硫酸製造 | 日本 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | コッキング、堤、東京石鹸試験所設立―日本における石鹸業生誕の年 | 日本 | |
- | 地租改正条例、ウィーン万国博参加 | 備考 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 丸善に苛性ソーダ見本入荷、戮明舎石鹸製造開始 | 日本 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 川本幸民著・化学読本、宮崎柳条編著・西洋百工新書 | 日本 | |
- | 丸善工場、江水舎創業、熊谷工場石鹸製造 | 日本 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ヘンケル商会創業・漂白ソーダ発売 | 海外 | |
- | 鳴春舎、象潟社創業、費府博に東京製石鹸出品、長崎又新舎創業 | 日本 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 長崎品川工場製品上海輸出、第一回勧業博にて堤・四方田入賞 | 日本 | |
- | 西南役、第一回勧業博 | 備考 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 東京横浜石鹸業者第一回親睦会、印刷局石鹸製造、大阪、汲田・白崎石鹸製造 | 日本 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | プロクター・エンド・ギャンブル商会、アイボリー発売 | 海外 | |
- | ブラウン会社、米国石鹸業界雄飛 | 海外 |