※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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1863年 | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ベルギー、ソルベー、アンモニアソーダ法工業化に成功(コニレットに工場を設置) | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
1864年 | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ドイツにてロート油製造(硫酸化油) | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
- | B.J.ジョンソン、ミルオーキに石鹸工場開設 | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
- | ブロークラインのジェームス・アトキンス、石鹸の型打機製出 | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
1865年 | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | アメリカ、ベネット、ギブスの高圧鹸化法特許 | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
- | バビット商会、棒状石鹸型打製出 | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 橋本玉蘭斎編・横浜開港見聞誌後篇―せんたくしゃぼんと上品のしゃぼん | 油脂=石鹸業発達史年表 国内 | |
- | 対外条約勅許 | 油脂=石鹸業発達史年表 一般 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ノーベル、ダイナマイト発明 ドイツ、シーメンス、発電機発明 | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | イギリス石鹸製造業者協会結成 | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
- | 王政復古号令 | 油脂=石鹸業発達史年表 一般 | |
1868年 | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ワグナー来朝、ワルシュ・ワグナー工場建設計画 | 油脂=石鹸業発達史年表 国内 | |
- | 江戸を東京と改称 | 油脂=石鹸業発達史年表 一般 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | フランス、メージュ・ムーリエ、マーガリン製造法発明 | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
- | イギリスにて蒸気釜普及(この年、スエズ運河開通) | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
- | 大阪舎密局開講 | 油脂=石鹸業発達史年表 国内 | |
- | 版籍奉還 | 油脂=石鹸業発達史年表 一般 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 廃液グリセリン回収アメリカ特許(バビット) | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
- | ドイツ、ソルベー法ソーダ工場創始(ホーニヒマンのアーヘン・ソーダ工場) | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 | |
- | イギリス、グリセリン工業興隆 | 油脂=石鹸業発達史年表 海外 |