ニチバン(株)『ニチバン80年史』(1999.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治26年(1893) - 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
4月 大日本医会創立 一般・業界
6月11日 日本薬剤師会設立 一般・業界
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
7月25日 日清戦争勃発 一般・業界
- 又三郎、病院への薬品セールスに。ジフテリアが流行すると東京府吏員となって、伝染病予防に尽くす。また、吉原貸座敷業者組合病院(現都立台東病院)の薬局に勤務、薬局長稲野鉄太郎と親交を結ぶ 当社
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
4月17日 日清講和条約調印 一般・業界
4月 日本初、市電(市街電車)開通(京都) 一般・業界
- 又三郎、日本橋駿河町所在の調剤専門薬局を買収、歌橋輔仁堂を開設 当社
- 又三郎、天野為之の紹介にて、東京帝国大学医学部の入沢達吉・青山胤通・三浦謹之助博士らの処方調剤で、輔仁堂大繁盛 又三郎、吉原貸座敷業者組合病院を辞め、輔仁堂経営に専念 当社
- (独)レントゲンX線発見 一般・業界
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
1月 北里柴三郎博士コレラ血清完成 一般・業界
4月 第1回近代オリンピック、アテネで開催 一般・業界
5月23日 又三郎の妻かつ死亡 当社
- 医薬分業論下火。病院の地方進出などで、輔仁堂の業況下向き 当社
- 又三郎、大日本製薬合資会社(明治18年開業)に勤務 当社
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
7月15日 又三郎、芦屋徹の養妹志満と再婚 当社
- キューリー夫妻ラジウム発見 一般・業界
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
- 又三郎、東京帝国大学医学部皮膚科教授・土肥慶蔵博士からピック氏硬膏製造の指導を受け、その研究に着手 当社
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
7月 ノーベル賞創設(第1回受賞レントゲン(独)ほか) 一般・業界
12月3日 日本赤十字社条例公布 一般・業界
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
7月23日 歌橋均也誕生 当社
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