※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月28日 | 鹿鳴館開館式 | 一般の出来事 | |
12月 | 浅野セメント(現・太平洋セメント)設立 | 業界の出来事 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | (東京人肥)高峰、農商務省技師として米国ニューオリンズ万国博覧会に派遣される | 当社の出来事 | |
- | 紙幣整理にともない農村不況深刻化 | 一般の出来事 | |
- | 紡績業で深夜操業始まる | 一般の出来事 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 印刷局、東京王子に製薬工場建設。ルブラン法ソーダ・ウェルドン法晒粉の製造開始 | 業界の出来事 | |
3月1日 | 多木久米次郎、骨粉肥料の製造開始 | 業界の出来事 | |
4月18日 | 専売特許条例公布 | 一般の出来事 | |
5月9日 | 日本銀行、兌換銀行券を発行(銀本位制) | 一般の出来事 | |
9月 | (東京人肥)高峰、帰国 | 当社の出来事 | |
11月25日 | 造幣局、硫酸・ソーダ製造設備を日本製薬へ貸与。同社は硫曹製造へ転貸 | 業界の出来事 | |
12月22日 | 太政官制度を廃止、内閣制度設立 | 一般の出来事 | |
- | (東京人肥)高峰、私費で過燐酸石灰6t、燐鉱石4tを購入、帰国後農業関係者に分与 | 当社の出来事 | |
- | (東京人肥)農商務省勧農課、過燐酸石灰の試用を農家に依頼 | 当社の出来事 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月26日 | 北海道庁設立 | 一般の出来事 | |
4月 | 印刷局製薬工場、日本で初めてグラバー塔・ゲーリュサク塔を持つ鉛室法硫酸製造設備を建設 | 業界の出来事 | |
- | (東京人肥)高峰、渋沢栄一に過燐酸石灰企業化を進言 | 当社の出来事 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | (東京人肥)東京人造肥料会社「創立に関する株主の臨時会議」を開催。発起者9名、株主28名、資本金25万円(うち払込10万円)。渋沢、委員長就任 | 当社の出来事 | |
3月 | (東京人肥)益田孝・高峰、肥料製造機械・原料購入のため洋行 | 当社の出来事 | |
4月27日 | (東京人肥)東京府、東京人造肥料会社の設立認可 | 当社の出来事 |