日産化学工業(株)『百二十年史』(2007.05)

目次は見出しの階層(編・章・節・項…など)ごとに絞り込んで見ることができます。

… 資料編に詳細な情報があります。

目次項目 ページ
刊行にあたって p8
グラビア p2
価値創造への挑戦、世紀を超えて p2
歩み続けた120年、その原点を訪ねて p348
経営編 p19
第I部 「利農報国」の使命の下に(1887~1963年) p21
第1章 東京人造肥料から大日本人造肥料へ(1887~1921年) p22
第1節 東京人造肥料の創業 p22
日本の化学肥料製造の嚆矢 p22
国家のために有益な事業 p23
肥料改良一日進めば一日の益あり p25
渋沢哲学と当社の創業 p25
日本の近代企業の勃興期 p27
深川釜屋堀で操業開始 p28
新肥料の啓蒙に苦心 p30
創業当初の販路と初年度の実績 p32
高峰技術長渡米、突然の辞任 p33
販売にも工夫、掛売り開始 p35
工場全焼、渋沢委員長の決断により会社継続 p36
減資で苦境を乗り切る p37
第2節 もう一つの源流、硫酸・ソーダ工業 p38
硫酸・ソーダを軸に発展した化学工業 p38
貨幣鋳造のため硫酸製造を開始 p38
紆余曲折を経てソーダ工業もスタート p39
「塩変じて薬に」、日本舎密製造設立 p40
官営王子製造所を祖とする関東酸曹 p42
当社に統合される4社の沿革 p44
第3節 2度の戦争が招いた活況と大競争 p47
日清戦争で業績向上、硫酸の生産を開始 p47
「釜屋堀」の信用高まり功労者を表彰 p48
販売も業績も拡大一途 p49
日露戦争で再び肥料会社乱立 p50
小松川工場・神戸分工場を新設 p51
創業20周年式典盛大に p52
第4節 大日本人造肥料の誕生 p53
日露戦争後の反動不況で業界は混乱 p53
業界のため事業統合をスタート p54
渋沢会長の辞任申し出を受理 p54
大阪硫曹との乱戦から合併へ p55
「東京人造肥料」改め「大日本人造肥料」設立 p56
世界を視野に、台湾に初の子会社 p57
第1次世界大戦勃発、肥料業界は不振 p58
創業30周年を祝う p59
大戦後、過当競争の再来 p60
事業整理時代に突入 p61
第2章 大合同を経て日産化学工業に(1922~1944年) p63
第1節 「三社合同」の成立 p63
早々の合意も調整段階で難航 p63
創業者・渋沢栄一に裁定を依頼 p64
新生の大日本人造肥料が成立 p66
関東大震災が直撃、釜屋堀工場全焼 p69
復旧とともに事業基盤を整備強化 p70
昭和恐慌の影響小、鏡工場など買収 p72
第2節 外国技術を導入し硫安製造に成功 p73
三足鼎立の方針立て窒素工業へ進出 p73
空中窒素固定による硫安製造の系譜 p75
ファウザー法でアンモニア合成に進出 p76
富山・速星村に工場を建設 p77
自社技術で硫安製造を実現 p78
新肥料の創出に奮闘努力 p80
理想の肥料を追求して生まれた化成肥料 p81
「千代田化成」含めた新肥料を続々発売 p83
硫安発売直後に統制の萌芽 p84
国際窒素協定によるダンピング p85
徐々に環境が好転、復配・増配を達成 p86
創業50周年を迎える p88
第3節 日産グループ入りと第2次世界大戦 p89
「青天の霹靂」、日産との提携 p89
台頭する新興コンツェルン p90
日産コンツェルンの沿革 p91
生産統制一段と強化 p91
ウインクラー炉を設置し石炭ガス法を導入 p93
軍事一色となった企業活動 p94
戦時下での化学品製造 p95
満州、朝鮮での事業展開 p97
炭業部門の母体・日本鉱業に吸収 p97
日本産業傘下の日本油脂に包括譲渡 p100
厳しさ増す戦禍のなかで p101
第3章 戦後の復興と新生日産化学(1945~1963年) p103
第1節 復興への奮闘と会社分割 p103
壊滅状態となった日本の肥料工業 p103
苫米地義三が当社に復帰し社長に就任 p104
復興期を支えた富山工場 p105
富山以外の工場でも復興が進む p106
硫安、過燐酸で「復興会議」を結成 p107
低価格で肥料を供給した当社 p108
フロリダなどから燐鉱石の輸入を再開 p109
「王銅」、砒酸鉛が健闘 p110
殺虫剤BHCで国内トップに p111
新規事業に向け「企画委員会」を設置 p112
社内研究発表会を開催 p112
GHQが当社分割を指令 p113
油脂部門を「日本油脂」として分離 p113
第2節 新・日産化学がスタート p114
新たな発展に向けて体制整備 p114
「朝鮮特需」と統制撤廃 p115
肥料の販売網を再構築 p115
「千代田化成」の生産を再開 p116
不振に陥った過燐酸石灰 p117
硫安合理化5ヵ年計画 p118
富山工場で尿素の生産を開始 p119
アンモニア原料ガス源に重油を使用 p120
日本で最初に原油ガス化を実現 p121
除草剤「2、4-D」が普及 p122
パラチオン、「ダイセン」を国産化 p123
商系ルートを軸に農薬販売体制を整備 p124
「スノーテックス」などを企業化 p124
日産式湿式燐酸製造法を開発 p125
56日間のストライキが発生 p126
第3節 業績が急速に悪化し全社一丸で再建へ p127
苦境に陥った硫安業界 p127
日産丸紅商事に肥料販売部門を譲渡 p128
工場閉鎖で長期争議 p129
事業部制の導入と社長室の設置 p130
伊勢湾台風が名古屋工場を直撃 p131
天然ガス利用の長岡工場が稼働 p132
日高副社長が社長に就任 p132
1135名の人員を削減 p133
「王洗」、「ニッポリ」を新開発 p134
アンモニアの多角的利用で先駆 p135
スルファミン酸のトップメーカーに p135
硫酸の需要構造変化に対応 p137
電解塩素と塩素系誘導品を増強 p138
メタノール、尿素法メラミンに進出 p139
プール用殺菌剤「ハイライト」を商品化 p139
高度化成肥料の設備を増強 p140
「EPN」生産など農薬で活発な展開 p141
副産物利用にも取り組む p142
シリーズコラム 偉大なる先人たち p27
1 渋沢栄一 p27
2 高峰譲吉 p34
3 豊永長吉 p41
4 西川虎之助 p44
5 益田孝 p49
6 田中栄八郎 p65
7 石川一郎 p98
8 苫米地義三 p104
コラム p29
釜屋堀工場跡地に立つ記念碑 p29
「国家の為めに」硫安進出に感謝した渋沢 p79
第II部 石油化学からファインへ(1964~1988年) p143
第1章 「千葉石油化学連合」に参加(1964~1970年) p144
第1節 石油化学進出への布石 p144
「ニッサンウエット」で合成洗剤に進出 p144
通産省の石油化学育成方針と当社の対応 p145
長岡で天然ガスの利用を計画 p146
一転、ガス不足が深刻に p147
各社殺到のポリプロピレンを断念 p148
認可されなかった富山コンビナート計画 p149
ソフト型アルキルベンゼンを企業化 p151
丸善グループの計画に参画 p152
丸善コンビナート計画の経緯 p153
日産石油化学を設立 p155
日産コノコを設立、米社と合弁に p155
第2節 日産石油化学千葉工場が稼働 p156
初出荷に沸き起こった大拍手 p156
合成洗剤原料「ナルケン」を自社生産 p157
国産技術で塩化ビニルモノマーに進出 p158
5社共同で「千葉塩ビモノマー」設立 p160
中低圧ポリエチレンに進出 p161
塩化ビニルポリマーを生産 p163
第3節 アンモニア設備を大型化 p164
通産省が「第1次アンモニア大型化」構想 p164
富山工場に大型アンモニア工場を建設 p165
「日本海石油」を共同で設立 p167
世界最大級のメラミン工場が誕生 p168
長岡工場のメタノール設備を増強 p169
「第2次アンモニア大型化計画」に対応 p170
燐酸設備も合理化・大型化 p171
昭和電工と合弁で「日本燐酸」を設立 p172
富山工場に燐硝安技術を導入、王子工場閉鎖 p173
第4節 戦略部門の動き活発化 p175
本家を凌駕した殺虫剤「エルサン」 p175
「スエップ」導入、「イネジン」を自社開発 p176
ファインケミカルが本格始動 p177
化成品を強化・多様化 p178
東京液体化成品センターを共同で設立 p179
韓国、パキスタンにプラント・技術を輸出 p180
ベルギー、フランスで日産法プラント建設 p181
「日産エンジニアリング」を設立 p182
関係会社も能力増強・工場新設 p182
第5節 「総合化学会社」としての体制整備進む p183
石井社長就任、倍額増資を実施 p183
創業80周年を迎える p184
本社を移転、機構改革も実施 p185
研究部門の機構も改革 p187
収益力強化に向け業務改善推進チーム p188
第2章 構造不況下を生き抜く(1971~1979年) p189
第1節 業界の構造変化が直撃 p189
化学業界を取り巻く環境が激変 p189
大幅赤字のなか木村専務が社長に就任 p190
大規模な機構改革を実施 p191
希望退職者を募集、長岡工場を休止 p191
名古屋・富山両工場で硫黄源を転換 p193
北陸初の酸素会社を共同で設立 p193
日産エンジニアリングに人員派遣し強化図る p194
乳剤で成功した除草剤「ロンスター」 p195
第2節 公害防止に全力で取り組む p196
公害対策基本法などが制定 p196
富山工場は煙害問題で対策 p197
硝酸排ガス対策、排水処理対策を実施 p198
小野田・袖ケ浦両工場で排水処理設備を完成 p199
千葉塩素化学が水銀法から隔膜法に転換 p201
環境関連ビジネスを展開 p201
「安全対策本部」設置し保安確保を強化 p202
環境関連の商品を開発・販売 p203
第3節 第1次石油ショック後の不況に対応 p204
日本経済は低成長時代に p204
仮需の後に不況が到来 p205
石油化学部門は操業度が大幅低下 p206
「不況対策本部」の設置 p207
操業停止・一時帰休を実施 p208
中期計画で5項目の重点施策を打ち出す p209
研究開発部門の組織を整備 p210
設備投資抑制の方針を打ち出す p211
物流コストの削減に取り組む p212
収益向上目指し「Ai運動」を展開 p213
アンモニア・尿素などが特定不況産業に p214
第4節 新技術・新製品で大きな成果 p215
メラミンで世界のトップメーカーに躍進 p215
メラミン技術で多くの賞を受賞 p216
富山工場で新日産法燐酸プラントが試運転 p217
海外への燐酸技術供与続く p218
高密度ポリエチレンT法設備が稼働 p219
PE薄肉フィルム用高速押出機を開発 p219
環境に優しい樹脂「サンプラック」を開発 p220
「ダニカット」、「グラスジン」を投入 p221
殺虫剤「エルサン」の設備を大幅増強 p222
韓国に農薬原体の技術を供与、合弁も設立 p222
「スノーテックス」の用途開発 p223
鉄筋コンクリート用防錆剤などを上市 p223
1970年代末にかけ好業績を達成 p225
第3章 リストラのなかから新たな芽(1980~1988年) p227
第1節 第2次石油ショック後に非常事態が再来 p227
厳しい状況に直面した石油化学工業 p227
草野専務が社長に就任 p228
経営再建計画を策定 p229
企画・研究・開発体制を一元化 p230
塩ビ不況に対応して諸施策を実施 p231
アンモニア原料をLPGと併用 p232
ポリエチレンの新会社を設立 p233
日本アンモニア・日本洗剤原料を解散 p234
工場で省エネ運動、本社はJK運動展開 p234
富山工場の各種設備を充実 p235
第2節 プラント・技術輸出で実績上げる p236
インドに高級アルコール技術を輸出 p236
米国、ザンビア、韓国に技術輸出 p237
米国デュポン社で当社プラントが完成 p238
インドネシアに新日産法燐酸製造技術を輸出 p239
マレーシアに硫酸プラント建設 p239
第3節 「ファイン化率50%」を目指して p240
再建達成とファイン化注力に向け組織改訂 p240
袖ケ浦工場が無機ファインの拠点に p241
ジルコニアの小規模設備完成 p242
エカノーベル社と抄紙技術で合弁 p242
医薬へ本格進出の体制整う p243
第1号医薬品「エパテック坐剤」を上市 p244
ゼリア新薬工業と業務提携 p245
畑作用除草剤「タルガ」を開発 p245
小野田工場に「TEPIC」専用工場が完成 p246
富山工場では笑気ガス・メタル磁性粉など生産 p247
米社と合弁で「日産フェロ電子」設立 p248
農薬から健康食品まで多彩な製品を上市 p248
エンプラ「ポリサルホン」事業から撤退 p250
第4節 多くの教訓残し石油化学から撤退 p250
中井副社長が社長に就任 p250
創立100周年記念会合を開催 p251
再建計画を見直し、石油化学から撤退 p251
千葉工場では塩化ビニルから撤退 p252
アルコール、ポリエチレンからも撤退 p253
石油化学への参入と撤退がもたらしたもの p255
各工場で生産効率化活動を展開 p256
累積損失を一掃 p258
コラム p195
「スノーラップ」が重油流出事故で活躍 p195
息の長い改善活動となった「Ai運動」 p214
再生の出発点となった石油化学事業からの撤退 p256
第III部 特色ある価値創造型企業へ(1989~2007年) p259
第1章 「祈り」を抱えテイクオフ(1989~1995年) p260
第1節 本格的な中期経営計画で未来像を描く p260
平成元年度中期5ヵ年計画がスタート p260
スペシャリティ部門50%以上を目指す p261
20年ぶりに人事制度を改訂 p263
意思決定支援システム「N-VOIS」を開発 p263
営業や品質管理もシステム化 p264
中央研究所に新研究棟が完成 p265
エクイティ・ファイナンスを4回実施 p266
米国とドイツに現地法人を設立 p267
欧州、中国に合弁会社 p268
「一人前企業」目指して中期計画 p269
第2節 「シリウス」筆頭に新製品を続々上市 p270
除草剤「シリウス」を上市 p270
発売6年目に年商100億円突破 p271
殺ダニ剤「サンマイト」を上市 p272
「スパークスター」、「パーミット」を発売 p273
液晶配向膜「サンエバー」を上市 p274
「エパテックA」を発売 p275
血圧降下剤「ランデル」を開発 p275
高脂血症治療薬の臨床試験を開始 p276
袖ケ浦工場で新製品用プラント新設 p277
第3節 環境・安全を重視する経営 p278
徳島副社長が社長に就任 p278
肥料部門の体質改善に取り組む p279
6年ぶりに大幅な組織改訂を実施 p280
小野田工場製品群のファイン化促進 p281
富山・名古屋両工場も新工場、設備増強 p282
富山工場に技術開発センターを建設 p283
「環境・安全に関する基本方針」を制定 p283
ISO認証取得に取り組む p284
レスポンシブル・ケア協議会第1陣に参加 p285
収益は過去最高に p286
第2章 21世紀型企業に向け体制を整備(1996~2000年) p287
第1節 人材を核にレベルアップに挑戦 p287
1996年度中期計画をスタート p287
売上高1200億円を目指す p288
柏木専務が社長に就任 p289
RC、本格的な実行段階に p290
第1回RC委員会を開催 p291
クレーム激減、品質保証で大幅な進展 p291
5工場が環境ISOの認証を取得 p292
東京日産化学を吸収合併、関係会社を再編 p294
「日産化学Web情報システム」が稼働 p296
第2節 各事業の新芽が成長し太い幹に p297
「サンエバー」、TFT分野でもトップシェアに p297
「ARC」、ライセンス生産を開始 p297
米国でオルガノシリカゾルを生産 p298
「プリンス」、「ダイハード」を発売 p299
米国ユニロイヤル社と殺ダニ剤を共同開発 p300
農薬評価でフランスに足がかり p301
「日産マイルドペースト420」を上市 p301
第3節 富山工場大改造計画に取り組む p302
「富山21」プロジェクトを実施 p302
競争力確保に向けて大改造 p302
化学品統合倉庫を新設 p303
「ARC」、「DAR」を商業生産 p304
肥料のブロック運転を開始 p304
計器室の統合を4段階で実施 p305
研究開発センター新館を増設 p305
荷造りの効率化、インフラの整備が進む p306
小野田工場でPG・タルガ設備を強化 p306
高脂血症治療薬の工場が小野田工場に完成 p308
第4節 IT革命とともに p309
藤本副社長が社長に就任 p309
化学品事業本部を新設 p310
情報システム部を設置、ERPを導入 p311
半導体の需要増大でARC設備を増強 p312
「TEPIC」、「スノーテックス」で設備増強 p313
「袖ケ浦30プロジェクト」が始動 p313
「スノーテックス」増強、総合事務所が完成 p314
連結経常利益100億円を突破 p315
第3章 順調なスタートを切った21世紀(2001~2007年) p316
第1節 真の「価値創造型企業」に向けて p316
成長持続へ、2001年度中期計画始動 p316
高付加価値商品群を拡大 p317
グループで物流合理化を推進 p318
研究部門を4研究所・1研究開発センター体制に p319
肥料部門を「日産アグリ」に統合 p319
商事子会社2社を統合 p321
日産ズードヘミー触媒が合併 p322
ERP導入で業務を改善 p323
コンプライアンス体制を整備 p324
第2節 飛躍期を迎えた電子材料部門 p324
電子材料の基盤強化策を実施 p324
富山工場に電子材料研究棟を新設 p325
袖ケ浦・富山・韓国の各工場でポリイミドを増強 p326
電子材料事業部が独立 p327
「サンエバー」、「ARC」で高いシェア p328
第3節 環境の変化にもコア事業は盤石 p329
モンサントの「ラウンドアップ」事業買収 p329
「ダブルスター」、「レッドスター」を投入 p330
「ラグビー」、「トレディ」も上市 p331
米国でトウモロコシ用除草剤を強化 p331
北米農薬事業を集約、フランスに新会社 p332
シンジェンタ社から除草剤2原体を買収 p333
「ファインテック」事業を本格化 p334
小野田工場に「ファインテック」関連設備を新設 p334
大型新薬「リバロ」の発売開始 p334
抗血小板剤、「ランデル」でも新展開 p336
袖ケ浦工場で「セルナックス」などを増強 p337
第4節 2010年、そしてその先に向かって p338
中期経営計画「Vista2010」がスタート p338
コア事業に経営資源を傾斜配分 p339
船橋に電子材料研究所を建設 p340
九州大学と組織対応型連携をスタート p340
「ARC」、ポリイミドの新工場が竣工 p341
「TEPIC」の製造能力をさらに増強 p342
ディーゼル車向け高品位尿素水を販売 p342
MCの生産能力を5倍に増強 p343
ジルコニアゾル「ナノユース」を上市 p343
「サイクロテン」の日本での販売権取得 p344
韓国に農薬販売の現地法人を設立 p344
日産アグリが三井東圧肥料と統合 p345
抗心房細動薬を帝人ファーマと共同開発 p346
創業120年を迎える p346
コラム p277
スノーテックス、米国市場開発スタート p277
小野田工場のファイン化を担った「TEPIC」 p282
徳島社長が農薬工業会会長に就任 p285
創立110周年、Ai運動20周年 p295
製品編 p361
五十音順索引 p362
I 化学品 p363
硫酸 p363
ソーダ、塩素 p367
晒粉 p370
塩酸 p371
芒硝(硫酸ソーダ) p372
硫化ソーダ p373
チオ硫酸ソーダ(ハイポ) p374
ハイドロサルファイト類 p375
ソヤメント p377
液体塩素 p378
亜硝酸ソーダ p379
重炭安(炭酸水素アンモニウム) p380
亜硫酸ソーダ p381
クロールスルホン酸 p382
硝酸 p384
スノーテックス p385
メタノール p390
スルファミン酸 p392
メラミン p394
ハイライト p397
高純度薬品(硫酸、安水、硝酸) p399
TEPIC(テピック) p400
サンエポック p402
プロスタグランジン誘導体 p403
II 電子材料 p405
サンエバー p405
ARC p408
III 農薬 p412
サンソー液、硫曹液 p412
フロライト p413
王銅 p413
2、4-D p414
EPN p416
MCP p417
エルサン p418
イネジン p420
スエップ p421
ロンスター、デルカット p422
プリクトラン、ダニカット p424
アドバンテージ、ガゼット p425
タルガ p426
シリウス p428
サンマイト p430
パーミット p432
ラウンドアップ p434
IV 医薬品 p437
エパテック p437
ランデル p439
リバロ p441
V 肥料 p444
過燐酸石灰 p444
配合肥料 p447
化成肥料 p448
千代田化成肥料 p450
燐酸液 p452
石膏 p454
アンモニア p455
硫安 p458
尿素 p461
VI 石油化学品 p463
ニッサンウエット p463
王洗 p464
ニッポリ p465
高級アルコール p466
ナルケン p469
塩化ビニルモノマー p471
ポリエチレン p473
ファインオキソコール p475
VII 化学機械・技術 p476
スーピロン p476
プラント・エンジニアリング p478
現況 p483
袖ケ浦工場 p484
富山工場 p486
小野田工場 p488
埼玉工場 p490
名古屋工場 p491
物質科学研究所 p492
電子材料研究所(船橋) p493
電子材料研究所(富山) p494
機能材料研究所 p495
生物科学研究所 p496
韓国日産化学、Nissan Chemical Houston Corporation p497
本社 p498
資料編 p499
創立趣意書 p501
原始定款 p502
現行定款 p507
会社経歴図 p512
工場経歴図 p514
歴代社長 p516
現役員 p518
関係会社社長 p519
歴代役員任期一覧表 p520
組織の変遷 p526
組織図 p530
事業所・関係会社の概要・沿革 p532
資本金の推移 p543
大株主の推移 p544
株主数と株主構成 p546
主要財務指標(連結決算)の推移 p548
主要財務指標(単独決算)の推移 p552
部門別売上高の推移 p563
年表 p564
年表 p564
事業部別年表 p594
参考資料 p596
あとがき p599
索引リスト
PAGE TOP