※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保2年(1840) | - | 【渋沢栄一】天保11年2月13日(1840年3月16日)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)に生まれる。幼名は市三郎。渋沢家は代々の農家で養蚕と製藍を兼業。〔0歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 鹿島岩吉、江戸で棟梁となる | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
弘化元年(1844) | - | 鹿島岩蔵生まれる | 鹿島建設略年表//主要事項 |
安政6年(1859) | - | 岩吉、横浜で西洋館大工となる | 鹿島建設略年表//主要事項 |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (一八六八(明治元)頃)岩蔵結婚。夫婦で横浜に移住、貿易商を開く | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (一八七二(明治三)頃)岩蔵、父親の西洋館請負の支配人となる | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 岩蔵、毛利公邸の西洋館を請負って井上勝に知られる | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 岩蔵の娘糸子生まれる。岩蔵、この頃から関西方面で大いに活躍。岩吉、東京市京橋木挽町九丁目二八番地に隠居 | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 鉄道請負に転向。東京市京橋木挽町九丁目三一番地に転居。以後各地の鉄道工事を請負って大いに発展する | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 山手線工事を施工。この頃から正式に鹿島組の商号を用い出す | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 鹿島岩吉没[原資料には1886年(明治18)とあり] | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 岩蔵と家族、麻布区広尾町二番地に転居 | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 葛西精一、盛岡中学を卒業して上京、難関を突破して第一高等学校二年に編入。以後絶えず鹿島家に出入りするようになる | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 軽井沢の貸別荘経営に着手。本店が手狭なため木挽町六丁目二番地の大きな商家に移転。自転車が実用化されて、小僧仲間では使いの時、馬車の追抜競争がはやった | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 鹿島家、深川島田町九番地の本邸に帰る | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 葛西精一、東京帝国大学工科大学を二番で卒業。鹿島家の養嗣子となり鹿島糸子と結婚。精一、鹿島組副組長に就任。台湾での鉄道工事始まる | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 精一長女卯女生まれる | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 国有化された日本鉄道の精算事務所に六丁目の店を売り、九丁目の旧本店に戻る。精一次女薫子生まれる | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 宇治川電気志津川発電所工事を請負う。以後水力発電、ダム工事等電力工事を多数施工する | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 鹿島岩蔵没。精一、鹿島組組長に就任 | 鹿島建設略年表//主要事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 台湾縦貫鉄道下淡水渓橋完成 | 鹿島建設略年表//主要事項 |