鹿島建設(株)『鹿島建設の歩み : 人が事業であった頃』(1989.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
- 丹那トンネル西口着工。誰も世紀の難工事になるとは想像もしていなかった 鹿島建設略年表//主要事項
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
- 鹿島組月報発刊。付録として文芸欄のようなものがあり、これがユニークだった 鹿島建設略年表//主要事項
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
- 関東大震災。木挽町事務所、月島倉庫、深川本邸などすべて焼失。鹿島家の家族は着のみ着のまま逃れた。笹塚の知人の別荘に落着く 鹿島建設略年表//主要事項
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】日本太平洋問題調査会創立・評議員会長。日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
- 鹿島家、小石川区関口町二〇七番地に本邸を新築、転居。大正の典型的な西洋館で戦災も免れたが、のち取りこわされた。庭に汐見の松という老松があり、白蛇が住んでいた 鹿島建設略年表//主要事項
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
- 永富守之助、鹿島家の養嗣子となり鹿島卯女と結婚。ローマ駐在大使館二等書記官として赴任。イタリアの生活はとても楽しかったらしい 鹿島建設略年表//主要事項
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本航空輸送会社創立・創立委員長。日本女子高等商業学校発起人。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 精一、日本土木建築請負業者連合会会長に就任。この頃から業界の世話役として評価が高くなり、何かといえば発起人や理事にさせられた。次女薫子、関東水力発電会社員小野威と結婚。守之助長女伊都子生まれる。ローマ生まれのため伊都子とした 鹿島建設略年表//主要事項
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
- 京橋区南大工町一番地に本店ビル竣工。木挽町より移転。鹿島組五〇年記念式典挙行。鹿島組五〇年史刊行。守之助次女ヨシ子生まれる 鹿島建設略年表//主要事項
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
- 鹿島守之助総選挙出馬のため外務省を辞職帰国、立候補するが次点に止まる。学位論文執筆のため調布の別荘に篭る。守之助長男昭一生まれる。三代目で生まれた男子だけに精一夫婦は大喜びであった。鹿島組の組織を匿名組合から株式会社に変更。社長鹿島精一 鹿島建設略年表//主要事項
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
- 上野駅本屋工事竣工。鉄道駅として代表的なものであった。守之助三女三枝子生まれる 鹿島建設略年表//主要事項
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
- 丹那トンネル完成。精一、東京ロータリー倶楽部会長に就任。まだロータリーが珍しがられる頃であった。台湾電力日月潭発電所工事竣工。当時は不便・不自由・不潔きわまる山の中での四年にわたる仕事だっただけに従事した社員の団結は固く「日月会」という同窓会は半世紀も続いている。鹿島糸子没 鹿島建設略年表//主要事項
昭和13年(1938) - 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 渋沢関係略年譜
- 鹿島守之助、鹿島組社長に就任 鹿島建設略年表//主要事項
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
- 満洲鹿島組設立。大阪営業所、支店となる。初代支店長小野威 鹿島建設略年表//主要事項
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
- 住友金属和歌山製鉄所、静岡プロペラ工場着工。静岡は登呂遺跡の上に二メートルも土盛して建てられた。シンガポールに昭南出張所開設 鹿島建設略年表//主要事項
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
- 松代地下大本営着工。戦災復旧工事始まる 鹿島建設略年表//主要事項
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
- 鹿島精一没。塩田と進駐軍と石炭関係工事が多くなる 鹿島建設略年表//主要事項
昭和27年(1952) - 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 渋沢関係略年譜
- 副社長鹿島新吉没。個人経営時代方ら営業を一手に引受けた人であった。日本最初のアーチダムとして九州電力上椎葉ダム着工。米国最大の建設会社モリソン・クヌードセンと提携して最新技術を導入した 鹿島建設略年表//主要事項
昭和31年(1956) - 【竜門社】創立70周年記念総会を開催する。 渋沢関係略年譜
- 関西電力黒部川第四発電所着工。守之助長女伊都子の夫渥美健夫、副社長に就任。 鹿島建設略年表//主要事項
昭和32年(1957) - 【渋沢敬三】第16回ICC総会に日本代表団団長として出席のため渡欧。外務省顧問に就任、「移動大使」として中南米諸国を歴訪。 渋沢関係略年譜
- 鹿島守之助、国務大臣就任のため社長を辞任し会長となる。鹿島卯女、社長に就任 鹿島建設略年表//主要事項
昭和34年(1959) - 【渋沢敬三】日本学術振興会より『明治前日本漁業技術史』刊行。角川書店より『日本魚名の研究』刊行。 渋沢関係略年譜
- 副社長竹内六蔵没。鹿島の建築を育て上げた功労者であった。守之助次女ヨシ子の夫石川六郎・長男鹿島昭一副社長に就任。先に就任していた小野威・渡辺喜三郎と合わせて五副社長体制となる。創業一二〇年記念式典挙行。百二十年小史刊行。賠償工事第一号ビルマ・バルーチャン第二水力発電所竣工。横浜シルクセンター竣工。一〇〇年前に鹿島が最初に施工した居留地一号館(英一番)の跡地だったのは奇縁である 鹿島建設略年表//主要事項
昭和35年(1960) - 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 渋沢関係略年譜
- 日比谷三井ビル竣工。この工事中、隣接の東京宝塚劇場が公演中舞台から出火して全焼した。この時鹿島の作業員多数が燃えている劇場に飛込み、出演者を救出して感謝された 鹿島建設略年表//主要事項
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