三菱化成工業(株)『三菱化成社史』(1981.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
- 硫酸を初めて輸出 業界・一般
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
11月5日 工場払下概則公布 業界・一般
- 大蔵省印刷局、ルブラン法ソーダ製造開始 業界・一般
- ドイツでインヂゴの合成に成功 業界・一般
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
3月31日 郵便汽船三菱会社、高島炭坑(長崎県)の払い下げを受ける 当社
4月7日 農商務省設置 業界・一般
12月 官営釜石製鉄所、初めてコークス製造開始 業界・一般
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
11月 岩鼻火薬製造所、火薬の製造開始 業界・一般
- ベルギーで初めて副産物回収コークス炉操業開始 業界・一般
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
- 国内出炭高、100万t/年を突破 業界・一般
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
2月7日 岩崎弥太郎死去 当社
2月18日 副社長岩崎弥之助、郵便汽船三菱会社社長に就任 当社
9月29日 郵便汽船三菱会社、共同運輸会社と合併し、日本郵船会社設立 当社
10月 東京瓦斯、有底水平レトルトでガス製造開始 業界・一般
12月22日 内閣制度確立 業界・一般
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
3月29日 岩崎弥之助、三菱社を設立、吉岡銅山、高島炭坑、長崎造船所、第百十九銀行、千川水道会社を経営 当社
- 高峰譲吉、アメリカから過りん酸石灰、りん鉱石を持ち帰る 業界・一般
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
2月28日 東京人造肥料会社設立 業界・一般
6月7日 三菱社、借用中の官有長崎造船所の払い下げを受ける 当社
10月24日 三菱社、尾去沢鉱山(秋田県)を買収、この年槙峯鉱山(宮崎県)を買収 当社
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