※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月19日 | 大阪市城東区鶴見町六百卅五番地、工場壱棟保存登記 | ||
9月25日 | 大阪化学用薬品協会理事長 | ||
- | 大阪市北区新喜多町、工場廃止(鶴見町移転のため) | ||
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 薬事報公会幹事 | ||
- | 大阪製薬同業組合代議員会議長 | ||
- | 西部化学用薬品協会副理事長 | ||
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日本試薬統制株式会社設立準備委員 | ||
- | 日本試薬統制株式会社元配給所 | ||
- | 試薬規格委員会の幹事 | ||
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
8月24日 | 石津製薬株式会社と商号変更登記 | ||
10月7日 | 第二回増資 | ||
- | 日本医薬品工業会監事 | ||
- | 日本試薬統制株式会社取締役 | ||
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日本試薬統制株式会社監事 | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月7日 | 午前十一時直接焼夷弾攻撃の為東区道修町二丁目の本社建物戦災全焼 | ||
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 道修町戦災地跡へバラックの新築 | ||
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月1日 | 試薬国営検査準備委員(商工省嘱託) | ||
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月12日 | 毒物、劇物、営業者、薬第五七号許可 | ||
5月 | 第三回増資 | ||
9月 | 第四回増資 |