三共(株)『三共百年史』(2000.05)

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月日 事項 年表種別
明治30年(1897) 11月 横浜刺繍株式会社支配人・塩原又策(横浜市日ノ出町二丁目41番地/絹織物売込商)、友人西村庄太郎に新事業をアメリカ地域で探索することを依頼 当社の歩み
明治31年(1898) 12月8日 塩原又策、高峰譲吉と強力消化酵素タカヂアスターゼの委託販売契約を締結(渡米した西村庄太郎がその試売を塩原に委嘱することを高峰に懇請し承諾を得たもの) 当社の歩み
明治32年(1899) 3月 匿名合資会社三共商店を設立しタカヂアスターゼの輸入試売を開始―三共の創業//資本金:3,000円//店主:塩原又策//出資者:塩原又策、西村庄太郎、福井源次郎の3名、それぞれ1,000円を出資//所在地:横浜市弁天通一丁目1番地/横浜絹物株式会社(横浜刺繍株式会社を改称)内 当社の歩み
明治33年(1900) - ・出資者西村庄太郎、福井源次郎から社業を一任され、塩原又策の専業となる 当社の歩み
明治37年(1904) - ・塩原又策、アメリカ・デトロイトのパーク・デービス社を訪問し帰途欧米を視察 当社の歩み
明治40年(1907) 4月3日 三共薬品合資会社に改組//資本金:50万円//代表社員:塩原又策//出資者:塩原又策、塩原千代 当社の歩み
明治43年(1910) 3月 理事制を採用(代表理事・塩原又策/総務理事・山谷徳治郎、古田宗二郎/理事・奥田象三、福井源次郎、荻原勘助) 当社の歩み
大正2年(1913) 3月1日 三共株式会社を設立//資本金:10万円//役員:社長・高峰譲吉/専務取締役・塩原又策/取締役・古田宗二郎、古谷竹之助/監査役・大谷幸之助、鳥居徳兵衛//所在地:東京市日本橋区室町三丁目10番地 当社の歩み
大正4年(1915) 4月 専務取締役塩原又策、紺綬褒章を受章 当社の歩み
11月 内国製薬株式会社を設立(資本金100万円/社長・福原有信/専務取締役・池口慶三/常務取締役・塩原又策/当社は大株主として参加しアミノピリン、石炭酸、麻薬類などの輸入途絶医薬品を生産) 当社の歩み
大正5年(1916) 12月 サトウライト株式会社を設立(資本金200万円/取締役会長・大橋新太郎/専務取締役・塩原又策/脱脂大豆の蛋白から創製した不燃性セルロイド類似品のサトウライトを製造) 当社の歩み
大正9年(1920) 5月15日 キシライト株式会社を設立(資本金10万円/社長・塩原又策/遠藤与惣吉経営のキシライト製造販売業を継承/品川工場構内に作業室を設置して軸受潤滑油キシライトを製造発売) 当社の歩み
9月6日 東京石鹸製造株式会社を設立(東京府下亀戸町、現・江東区/資本金100万円/社長・塩原又策/東京石鹸株式会社の事業を継承し、ラベル、ベナンなどの化粧石鹸を製造/当社香粧品部が発売) 当社の歩み
大正10年(1921) 4月10日 亜細亜アルミナム株式会社を設立(資本金10万円/社長・塩原又策/アメリカン・アルミナム社からアルミニウムインゴットを輸入販売) 当社の歩み
大正12年(1923) 2月 大和醸造株式会社を設立(資本金100万円/代表取締役・塩原又策、小西新右衛門/品川工場で鈴木梅太郎博士指導により合成清酒を完成/合成清酒「新進」を醸造発売/工場を藤沢市に設置) 当社の歩み
大正15年(1926) 8月 塩原又策著『高峰譲吉』を刊行 当社の歩み
昭和3年(1928) 11月3日 専務取締役塩原又策、緑綬褒章を受章 当社の歩み
昭和4年(1929) 7月9日 専務取締役塩原又策、第2代社長に就任 当社の歩み
昭和6年(1931) 12月 社長塩原又策、フランス政府からオフィシェ・レジョン・ドヌールを受賞 当社の歩み
昭和7年(1932) 1月27日 日本ベークライト株式会社を設立(資本金60万円/社長・塩原又策/当社ベークライト部門を解消) 当社の歩み
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