横浜護謨製造(株)『四十年史』(1959.01)

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月日 事項 年表種別
明治41年(1908) 7月 古河鉱業会社は横浜電線製造株式会社(古河電気工業株式会社の前身)の株式六〇万円を買取り古河側より取締役として中島久万吉、桜井貢吉、監査役として中田敬義経営に参加す 参考事項
大正7年(1918) 6月 専務取締役河井浩、監査役中田敬義辞任、木部守一専務取締役に、河井浩監査役に就任す 当社関係事項
昭和3年(1928) 12月 取締役会長中島久万吉辞任、エス・エム・ゼット、長谷川鉄太郎取締役に、中田敬義、早川鉄冶氏監査役に就任す 当社関係事項
昭和11年(1936) 2月 取締役退任、後藤元治、エス・エム・ゼット両氏の補欠として萩原拳吉、小原清次が選出され、監査役退任の中田敬義及び早川鉄冶両氏の補欠として後藤元治、木村豊吉が選任さる。なお会社を代表すべき取締役に中川末吉、萩原拳吉の両氏が選任さる 当社関係事項
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