※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 各地銀行取り付けとなり、政府、救済を声明 | 一般 | |
9月 | 川崎第2工場新設(原石焼成法採用) | 当社 | |
- | 函館出張所を営業所と改称 | 当社 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 日本ポルトランドセメント同業会、袋入りセメントの重量を127ポンド(57.6 kg)および95ポンド(43.1 kg)の2種とす | 業界 | |
4月 | 尺貫法をメートル法に改正 | 一般 | |
5月 | 慨朗採掘場において、アメリカ人技師マドックス指導のもとに第1回坑道爆破を実施 | 当社 | |
6月 | 資本金を3,300万円に増資 | 当社 | |
8月 | 台湾工場、当社最初の廃熱汽缶新設 | 当社 | |
9月 | 門司工場回転窯1基(径9ftX長さ200ft)増設 | 当社 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 北海道工場(第2工場)回転窯(径9ftx長さ200ft)増設(月産100万樽=約172,400t) | 当社 | |
4月 | 当社最初のベーツ式袋詰機を東京工場、川崎工場(6月)に新設 | 当社 | |
6月 | 豊国社、名古屋社および佐賀社を合併 | 業界 | |
- | 門司工場回転窯(径9ftx長さ200ft)3基増設(秋) | 当社 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 関東大震災により、東京工場全焼。川崎工場も多大の被害を受く | 当社 | |
9月 | 本店事務所を東京海上ビル旧館に移転 | 当社 | |
9月 | 宇部セメント社設立 | 業界 | |
9月 | 関東大震災 | 一般 | |
10月 | 浅野スレート社・日本カーリット社を合併、当社スレート部、カーリット部とす | 当社 | |
10月 | 資本金3,575万円となる | 当社 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 東京工場、震災復旧工事完成 | 当社 |