日本セメント(株)『百年史 : 日本セメント株式会社』(1983.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
- 銀座煉瓦街完成 政治・経済・社会
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
4月 セメント容量の貫目建を廃止し、ポンド建とし、量り売り開始 業界
11月 政府、官営工場の整理を命ずる(工場払下概則制定) 政治・経済・社会
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
5月 笠井順八、セメント製造会社(現小野田社の前身)を設立し、山口県小野田に工場建設 業界
6月 深川工作分局(セメント工場)、皇居造営用セメント納入のため窯4基増設 業界
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
2月 東洋組設立され、愛知県渥美郡田原町二ツ坂にセメント工場建設(三河セメント社の前身) 業界
10月 日本銀行開業 政治・経済・社会
11月 大阪市西成郡川南村に川南セメント工場建設 業界
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
4月16日 浅野総一郎、渋沢栄一その他の助力を得、深川工作分局セメント工場を借受け創業、セメント市販開始 当社
9月 セメント製造会社(現小野田社)製品市販開始 業界
9月 工部省、工作局・鉱山局を廃止し、その事務を省直轄とする 業界
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
7月8日 浅野総一郎、深川工作分局セメント工場建物、土地とも払下げを受け、匿名組合組織をもって発足、浅野工場と命名(月産800樽=約145トン) 当社
- 橋本辰三郎、静岡県安部郡清水港に東海セメント製造所建設 業界
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
5月 イギリス人フレデリック ランサム、回転窯によるセメント焼成を試験、その特許権を獲得 業界
8月 皇居造営用セメントを工作分局より引継ぎ納入開始 当社
10月 商標「地紙及開キ懸扇子小口ノ図」を定め登録 当社
12月 工部省廃止 業界
- 橋本辰三郎、東京深川富川町河岸にセメント製造所建設((旧)日本セメント社の前身) 業界
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
2月 登録商標の紹介をかねて2月2日付「東京日日新聞」にセメントの初広告を掲載し、販路拡張に乗出す 当社
11月 政府の技術者海外派遣に伴い、浅野工場より坂内冬蔵、浅野喜三郎をドイツへセメント研究のため派遣 当社
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