※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (初)呉工廠から松田万太郎を、技師長として迎える | 当社の沿革 | |
- | 500トン水圧プレス1、ハンマ3、工作機械を増設 | 当社の沿革 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 日本鉄鋼協会設立 | 業界・社会一般 | |
5月 | 日華条約調印 | 業界・社会一般 | |
7月 | 鈴木岩治郎、第2代取締役社長に就任 | 当社の沿革 | |
8月 | 英国のピーター・ブラザーズ社から高圧空気圧縮機の技術導入、直ちに製作開始(わが国初) | 当社の沿革 | |
10月 | 脇浜海岸(4万坪)の埋め立て工事開始 | 当社の沿革 | |
11月 | 日本特殊鋼(株)設立 | 業界・社会一般 | |
11月 | 大正天皇即位 | 業界・社会一般 | |
- | 25トン平炉1、中型ローリングミル1、機械工場にミーリングマシン、スロッティングマシン数基、鍛鋼工場に加熱炉数基を増設 | 当社の沿革 | |
- | 工具の商標として剣菱S(〓[◇+S])を登録 | 当社の沿革 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 台湾施政25年記念共進会に製糖用ロール クラッシャ、トロッコ用車輪、合金見本を出品し金牌を受賞 | 当社の沿革 | |
4月 | 大日本海事水産博覧会に3,000トン級船舶用クランクシャフト、合金見本、ドリル、カッタ、リーマ、タップを出品し金牌を、鋳鍛鋼品の出品に対して名誉大賞を受賞 | 当社の沿革 | |
4月 | 英国、鉄鋼輸出禁止 | 業界・社会一般 | |
4月 | 鈴木商店は播磨船渠(株)を買収 | 業界・社会一般 | |
5月 | 鈴木商店は(株)中央鉄工所から造船業務を買収して、(株)鳥羽造船所とする | 業界・社会一般 | |
5月 | 農商務省内に製鉄業調査会設置 | 業界・社会一般 | |
7月 | 定款を変更、常務のほかに専務制を設け、取締役依岡省輔が就任 | 当社の沿革 | |
8月 | 英国のN・ヒングレー・アンド・サンズ社からホールス型無桿式錨の技術導入(わが国初) | 当社の沿革 | |
8月 | 日本軍、中国軍と鄭家屯で衝突 | 業界・社会一般 |