新日本製鉄(株)釜石製鉄所『鉄と共に百年. 写真・資料』(1986.10)

"大島高任"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
文政9年(1826) 5月11日 大島高任、南部藩侍医大島周意の子として盛岡の仁王小路に生まれる 所内
安政3年(1856) - 大島高任、大槌通御給人貫洞瀬左衛門とともに南部藩主南部利剛に高炉の築造を願い出る 所内
安政4年(1857) 11月 大島高任、大橋に洋式高炉建設。12月1日、高炉法によるわが国初の鉱石製錬に成功 所内
明治4年(1871) 11月12日 岩倉渡欧使節団派遣(大島高任も随行) 社内および業界・一般
明治6年(1873) 11月 橋野、佐比内、栗橋、大橋の4鉱山を官行として一般への借区を停止。鉱山寮で大島高任、狛林之助を派遣、開発の衝に当たらせる 所内
明治7年(1874) 6月 大島高任とビヤンヒーとの間で官営製鉄所の建設地をめぐって論争。高任は大唯(只)越、ビヤンヒーは鈴子を主張し、政府は外国傭技師の意見を尊重し鈴子に決定 所内
明治29年(1896) 5月 官営八幡製鉄所の初代長官に山内堤雲、技監に大島高任の嗣子道太郎任命される 社内および業界・一般
明治34年(1901) 3月28日 大島高任逝去 所内
昭和17年(1942) 12月20日 大橋桜山に大島高任彰徳碑建立、除幕式 社内および業界・一般
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