日本鋼管(株)『日本鋼管株式会社七十年史』(1982.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
3月 鋼材聯合会、丸鋼生産3割制限 内外主要事項
4月 ロンドン海軍軍縮条約調印 内外主要事項
6月 炉材部を独立させ、川崎窯業(株)設立 当社の沿革
6月 臨時産業合理局設置 内外主要事項
6月 米価暴落(豊作飢饉) 内外主要事項
9月 日本黒板共同販売組合(薄物部)設立 内外主要事項
10月 大阪鋼管製造所を分工場とする 当社の沿革
10月 中板共同販売組合設立 内外主要事項
10月 線材共同販売組合設立 内外主要事項
12月 合金鉄共同販売組合設立 内外主要事項
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
1月 スケルプ製造開始(これ以前は輸入による) 当社の沿革
3月 日本厚板共同販売組合設立 内外主要事項
4月 重要産業統制法公布 内外主要事項
5月 瓦斯管販売会社設立 内外主要事項
9月 満州事変勃発 内外主要事項
11月 普通株1050万円を630万円とし、減資して資本金1680万円となる 当社の沿革
11月 初代浅野総一郎、死去 当社の沿革
11月 造船聯合会設立 内外主要事項
12月 中形山形鋼共同販売組合設立 内外主要事項
12月 金輸出再禁止 内外主要事項
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