清水建設(株)『清水建設百八十年』(1984.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
- フラッシュバット式電気溶接法を開発し採用(国策パルプ工業旭川工場) 当社の技術の歩み
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
3月 株式会社満州清水組設立 当社のあゆみ
9月 日独伊三国同盟締結 社会の動き
11月 社長清水釘吉、退任して相談役となり、会長清水康雄代表取締役社長に就任 当社のあゆみ
11月 紀元2600年奉祝記念式典挙行 社会の動き
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
2月 軍建協力会発足 社会の動き
10月 東条英機内閣成立 社会の動き
12月 太平洋戦争勃発 社会の動き
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
3月 上海出張所、支店に昇格 当社のあゆみ
3月 海軍施設協力会発足 社会の動き
4月 米軍機、日本本土を初空襲 社会の動き
11月 株式会社片山鉄工所に資本参加 当社のあゆみ
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
7月 東京支店開設、本店を本社、店員を社員と呼称変更 当社のあゆみ
7月 東京都政実施 社会の動き
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
3月 専務制を採用 当社のあゆみ
7月 東条内閣、閣内不統一で総辞職 社会の動き
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月 米軍機、東京・名古屋・大阪・神戸を大空襲 社会の動き
5月 広島営業所、支店に昇格 当社のあゆみ
8月 株式会社上海清水組設立 当社のあゆみ
8月 広島支店、原爆のため壊滅 当社のあゆみ
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