※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | ニューヨーク株式暴落(世界恐慌始まる) | 社会の動き | |
12月 | 佐野利器入店、副社長に就任(7年8月退店) | 当社のあゆみ | |
12月 | 上越線清水トンネル貫通 | 社会の動き | |
- | 石炭ボイラーのパワーショベルを根伐に使用(新宿三越) | 当社の技術の歩み | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 金輸出解禁 | 社会の動き | |
12月 | 台北出張所再設置 | 当社のあゆみ | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 横浜出張所を復活(本社直轄) | 当社のあゆみ | |
8月 | 大連出張所、再び支店に昇格(8年1月満州支店と改称) | 当社のあゆみ | |
9月 | 満州事変勃発 | 社会の動き | |
11月 | 一部社員の整理を断行(7年2月予備員制度を採用) | 当社のあゆみ | |
11月 | 渋沢栄一没 | 社会の動き | |
12月 | 犬養政友会内閣成立(最後の政党内閣) | 社会の動き | |
- | 大不況ピーク | 社会の動き | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 上海事変勃発 | 社会の動き | |
3月 | 満州国建国 | 社会の動き | |
5月 | 青年将校の反乱で、犬養首相殺害さる(5.15事件) | 社会の動き | |
7月 | 宝町本社が落成、丸ノ内ビルから移転 | 当社のあゆみ | |
- | アンダーピニングエ法を採用(鈴木三栄ビル) | 当社の技術の歩み | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ドイツにヒットラー内閣成立 | 社会の動き | |
2月 | 職制大改正(工事長制復活) | 当社のあゆみ |