※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 韓国併合に関する日韓条約調印、韓国を朝鮮と改む | 社会の動き | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 原支配人、横河民輔・大倉粂馬と共に建築業有志協会(後の建築業協会)設立 | 当社のあゆみ | |
- | 関税自主権確立 | 社会の動き | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 清国、国号を中華民国と改める | 社会の動き | |
4月 | 大野式特許品合資会社(後の栄進社)設立 | 当社のあゆみ | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 博多出張所、出張店に昇格 | 当社のあゆみ | |
11月 | 支配人原林之助没 | 当社のあゆみ | |
11月 | 元方会議廃止 | 当社のあゆみ | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | コンクリートミキサーを使用(京城朝鮮ホテル) | 当社の技術の歩み | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 第一次世界大戦勃発 | 社会の動き | |
8月 | わが国、ドイツに宣戦布告 | 社会の動き | |
10月 | 深川工作場内に鉄工所設置 | 当社のあゆみ | |
- | 鉄製コンクリートタワー、コンクリート鉄製仮わくを使用(浅野セメント川崎工場) | 当社の技術の歩み | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 大連出張所設置 | 当社のあゆみ | |
8月 | 上海仮出張所設置 | 当社のあゆみ | |
10月 | 合資会社清水組に組織変更、清水釘吉、店長となる | 当社のあゆみ | |
11月 | 京都・大阪・博多の3出張店、支店に昇格 | 当社のあゆみ | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 工事長制制定 | 当社のあゆみ | |
9月 | 工場法施行 | 社会の動き | |
11月 | 合資会社栄進社設立 | 当社のあゆみ |