※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 専務理事制制定 | 当社のあゆみ | |
3月 | わが国、国際連盟脱退を通告 | 社会の動き | |
- | ドイツ製コンクリートポンプ「L-3」を使用(宮内省) | 当社の技術の歩み | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 札幌に北海道出張所設置 | 当社のあゆみ | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 建築での潜函工法をわが国で初採用(第一生命本館) | 当社の技術の歩み | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 博多支店を九州支店と改称 | 当社のあゆみ | |
1月 | 政府、ロンドン軍縮会議脱退通告 | 社会の動き | |
2月 | 台湾出張所、支店に昇格 | 当社のあゆみ | |
2月 | 皇道派将校、重臣を暗殺(2.26事件)東京市内に戒厳令布告 | 社会の動き | |
12月 | 諸方組合を〓[キ+┐]会と改称 | 当社のあゆみ | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 芦溝橋で日華両軍交戦(日中戦争勃発) | 社会の動き | |
8月 | 株式会社清水組設立 | 当社のあゆみ | |
11月 | 株式会社清水組に合資会社清水組を合併取締役会長に清水康雄、代表取締役社長に清水釘吉が就任 | 当社のあゆみ | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 国家総動員法公布(5月施行) | 社会の動き | |
6月 | 北京に北支支店設置 | 当社のあゆみ | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 京城支店を朝鮮支店と改称 | 当社のあゆみ | |
5月 | 札幌出張所、北海道支店に昇格 | 当社のあゆみ | |
7月 | 国民徴用令公布施行 | 社会の動き | |
9月 | 第二次世界大戦勃発 | 社会の動き | |
- | 清水式無音無振動基礎工法の採用(海軍省庁舎本飴増築) | 当社の技術の歩み |