※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇崩御。「昭和」と改元 | 業界・一般 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐院起こる | 業界・一般 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 初の普通選挙実施 | 業界・一般 | |
- | 山本式自動選別機の九州全県での製造販売権を取得 | 当社事項 | |
- | ヨナワ商会(熊本県)に九州一円の販売を委託 | 当社事項 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 伊丹直三(大阪府)、ゴムロール式籾摺機を完成 | 業界・一般 | |
10月24日 | ニューヨーク株式大暴落、世界恐慌始まる | 業界・一般 | |
- | 山本式自動選別機の北海道全道での製造販売権を取得 | 当社事項 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 天野農機商会(北海道)天野忠雄に北海道一円の販売を委託 | 当社事項 | |
- | 世界恐慌が波及し昭和恐慌始まる | 業界・一般 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 松山市湊町六丁目33番地に移転し、「株式会社井関製作所」(資本金5万円)と改組・改称 | 当社事項 | |
6月 | ゴムロール式籾摺機の生産販売開始 | 当社事項 | |
9月18日 | 満州事変起こる | 業界・一般 | |
- | 山本式自動選別機の、高知県を除く四国本州全県での製造販売権を取得 | 当社事項 | |
- | 不況激化、とくに冷害凶作による東北地方の農村不況深刻化 | 業界・一般 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 満国建国を宣言 | 業界・一般 | |
5月15日 | 5.15事件 | 業界・一般 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月27日 | 日本、国際連盟を脱退 | 業界・一般 | |
3月 | 吉田商工部(大阪府)と共同出資し、大阪市東成区大今里町563番地に「東洋農機合名会社」(資本金20万円)を設立 | 当社事項 | |
6月19日 | 丹那トンネル貫通 | 業界・一般 |