※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月30日 | 明治天皇崩御 大正と改元 | 社外事項 | |
10月 | 蓄電池工場を開設(京都市上京区新町今出川上ル) | 社内事項 | |
11月2日 | 〓[○+十]を商標登録 | 社内事項 | |
1912年 | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | テーラ 科学的管理法を提唱 | 社外事項 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月21日 | 東京工場を開設(現島津神田美土代町ビル所在地) | 社内事項 | |
- | クーリッジ エックス線管球(クーリッジ管)を発明 | 社外事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月28日 | 第1次世界大戦始まる | 社外事項 | |
- | 大正博覧会に医療用エックス線装置などを出品 金牌を受賞 | 社内事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 大正天皇のお召列車点灯用蓄電池を製作 | 社内事項 | |
- | アインシュタイン一般相対性理論を発表 | 社外事項 | |
- | 世界大戦による好況 大正7年ごろまで続く | 社外事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月17日 | 日本電池株式会社を設立(蓄電池工場を分離) | 社内事項 | |
9月1日 | 株式会社に改組(資本金200万円) 取締役社長島津源蔵就任 | 社内事項 | |
- | 三条工場敷地約3万3,000m2〈1万坪〉を買収 | 社内事項 | |
- | 教育用理化学器械・標本 全国の過半を供給 | 社内事項 | |
- | 材料試験機の製造を開始 | 社内事項 | |
- | エックス線装置独占的地位を占める | 社内事項 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | はかり(化学天びん)の製造を開始 | 社内事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月28日 | ベルサイユ講和条約調印 | 社外事項 | |
8月 | 河原町本店営業所を新築(河原町工場内)木屋町本店を移転 | 社内事項 |