※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 東京放送局試験放送開始 | 社外事項 | |
5月5日 | 衆議院議員(普通)選挙法公布 | 社外事項 | |
10月31日 | 河原町工場を三条工場内に移転 | 社内事項 | |
- | マネキンの製作を開始 | 社内事項 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月21日 | 島津製作所健康保険組合を設立 | 社内事項 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇崩御 昭和と改元 | 社外事項 | |
1926年 | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 繊維機械(紡糸ポンプ・紡糸ノズル)の製造を開始 | 社内事項 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月5日 | 商工会議所法公布(昭和3年1月1日施行) | 社外事項 | |
11月20日 | 河原町本店営業所(現本社社屋)完工 | 社内事項 | |
12月 | 島津レントゲン技術講習所(現京都医療技術専門学校)を開設(木屋町本店内) | 社内事項 | |
- | 化学分析機器(pH計)の製造を開始 | 社内事項 | |
- | 不況進行 金融恐慌 銀行休業続出 | 社外事項 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月10日 | 日本商工会議所設立 | 社外事項 | |
- | ラマン ラマン効果を発見 | 社外事項 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月15日 | 奉天駐在員事務所を開設(昭和20年閉鎖) | 社内事項 | |
10月24日 | ニューヨーク株式市場大暴落 世界経済恐慌始まる 恐慌は昭和7年まで続く | 社外事項 | |
- | 電熱機器(電気炉・乾燥器)工業計器(炭酸ガス計)の製造を開始 | 社内事項 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 社長島津源蔵 わが国十大発明家の一人として賜餐にあずかる | 社内事項 | |
2月 | 「ラボラトリー」を創刊(月刊) | 社内事項 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 重要産業統制法公布 | 社外事項 |