※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 第1次世界大戦終わる | 社会の動き | |
- | 福島鉄工(現・マツエディーゼル)創業 | 社会の動き | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 東京市本所区永倉町に東京出張所を設置 | 当社の動き | |
6月 | ベルサイユ講和条約調印 | 社会の動き | |
9月29日 | 大阪市北区北野西之町259の土地270坪(890m2)を購入 | 当社の動き | |
- | この年から大正9年3月まで、“戦後ブーム” | 社会の動き | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 戦後第1次経済恐慌始まる | 社会の動き | |
6月2日 | 藤井鉄工所創業(現・セイレイ工業岡山工場) | 社会の動き | |
- | 大阪市北区北野西之町の米田鉄工所を買収し、農業用立形石油発動機を生産発売 | 当社の動き | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 商標を「ヤンマー」と定め、登録。「ヤンマー変量式石油発動機」を発売 | 当社の動き | |
7月 | 川崎・三菱造船争議、参加3万人 | 社会の動き | |
9月 | 石油発動機とセットして、ヤンマー動力籾すり機を発売 | 当社の動き | |
11月 | 原敬首相暗殺される | 社会の動き | |
11月 | ワシントン会議開催 | 社会の動き | |
- | ヤンマーバーチカルポンプを生産発売 | 当社の動き | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | ワシントン会議で海軍軍備制限条約、中国に関する9ヵ国条約、中国関税条約調印 | 社会の動き | |
3月 | 東京平和博覧会にヤンマーの動力籾すり機、動力精米機、水揚げポンプを出品、三等銅賞牌を受賞 | 当社の動き | |
7月 | 中国四国物産博覧会(姫路市)に石油発動機を出品、二等銀賞牌を受賞 | 当社の動き | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月23日 | 福岡市上祇園町に九州出張所を設置 | 当社の動き | |
9月 | 関東大震災 | 社会の動き |