※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月22日 | 社長山岡孫吉、発動機製作により、日本産業協会から表彰を受ける | 当社の動き | |
11月 | 大嘗祭の、悠紀・主基両斎田の御料機械としてオフセット式石油発動機と動力籾すり機が採用される | 当社の動き | |
- | 農林省主催全国小型発動機比較試験に第一位入選 | 当社の動き | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 昌運工作所創業 | 社会の動き | |
5月 | 上海、北四川路に上海出張所を設置 | 当社の動き | |
- | 大阪市天王寺で“原動機”博覧会開催 | 社会の動き | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 金輸出解禁 | 社会の動き | |
1月 | 世界恐慌日本に波及 | 社会の動き | |
- | 立形2サイクル5馬力ディーゼルエンジンの試作品を農林省比較審査に出品、研究品として農林省に買い上げられる | 当社の動き | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 山岡発動機工作所を株式会社組織に変更(資本金100万円)。同時に各地出張所を支店に昇格 | 当社の動き | |
2月 | 大連福昌公司と提携し満州に販路を拡張 | 当社の動き | |
3月 | 土佐農機商会創業(のちの協和農機) | 社会の動き | |
4月 | 全国的な社会主義活動の影響を受け、山岡発動機工作所でストライキ発生 | 当社の動き | |
9月 | 満州事変勃発 | 社会の動き | |
12月 | 金輸出再禁止 | 社会の動き | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 上海事変起こる | 社会の動き | |
2月11日 | 社長山岡孫吉、欧米視察に出発。7月20日に帰国。以来、小形ディーゼルエンジンの発明構想に全力を傾ける | 当社の動き | |
3月1日 | 満州国、建国宣言 | 社会の動き | |
5月15日 | 5・15事件、犬養毅首相暗殺される | 社会の動き | |
10月 | ディーゼルエンジン研究の専門技術者(奥礎一ほか)を招き、小形ディーゼルエンジンの開発に没頭 | 当社の動き |