※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪市南区日本橋1丁目付近で、間口2間の家を借り、魔法瓶修理店の経営開始 | 象印のあゆみ | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 大阪空襲により日本魔法瓶統制会社全焼 | 社会の出来事 | |
8月 | 広島、長崎に原爆投下 | 社会の出来事 | |
8月 | 日本、ポツダム宣言受諾。第二次世界大戦集結 | 社会の出来事 | |
10月 | 市川重幸、所沢の飛行隊より復員 | 象印のあゆみ | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 1パイント(473cc)//輸出向細口携帯用(当時FOB) | 魔法瓶の歴史 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 魔法瓶修理店を閉鎖 | 象印のあゆみ | |
4月 | 近畿魔法瓶輸出協同組合発足 | 社会の出来事 | |
4月 | 町内会、隣組廃止 | 社会の出来事 | |
4月 | 6・3制の新学制実施 | 社会の出来事 | |
5月 | 新憲法施行 | 社会の出来事 | |
8月 | 制限つき民間貿易再開許可 | 社会の出来事 | |
10月 | 大阪市南区高津6番丁8号地に、魔法瓶の金属加工部と組立部を設置。金属外装と魔法瓶組立てを主体とするメーカーに | 象印のあゆみ | |
- | *このころより携帯用魔法瓶から卓上型ポットへの切り替えを志向 | 象印のあゆみ | |
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 帝銀事件発生 | 社会の出来事 | |
5月 | サマータイム始まる | 社会の出来事 | |
8月 | 魔法瓶の輸出再開(約10工場稼働) | 社会の出来事 | |
12月 | 大阪市南区高津6番丁8号地に(株)協和製作所を設立、魔法瓶の製造販売を開始。資本金30万円、代表取締役に大西憲太郎(大正生命保険会社大阪市店長)が就任 | 象印のあゆみ | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 1ドル=360円の単一為替レート設定、魔法瓶の輸出低下 | 社会の出来事 | |
11月 | 湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞 | 社会の出来事 |