※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 内務省―警視本署間に電話線開通(使用電話機はおそらく輸入品) | 業界関連 | |
5月 | パリ万国博覧会に参加 | 社会一般 | |
6月 | 工部省、ベル電話機を模造 | 業界関連 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 万国電信条約に加入 | 業界関連 | |
4月 | 京浜間鉄道(東京―横浜)で初めて日本人機関士による列車運転始まる | 社会一般 | |
11月 | 米国WU社とベル社間に協定成立 | 業界関連 | |
- | 米国ニューヨーク電話交換局で、ペグ式交換機による本格的な電話交換開始 | 業界関連 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 工場払下概則を定める | 社会一般 | |
12月 | 神戸―三宮間に鉄道電話初めて開通 | 業界関連 | |
- | 米国エジソン電気照明会社創立 | 業界関連 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 沖牙太郎、明工舎を設立し、民間最初の電話機国産化に着手 | 業界関連 | |
3月 | 沖牙太郎、第2回内国勧業博覧会に「顕微音機」の名で自作の炭素電話機を出品 | 業界関連 | |
3月 | 第2回内国勧業博覧会を上野公園にて開催 | 社会一般 | |
10月 | 松方正義を参議兼大蔵卿に任命、松方財政(デフレ政策)始まる | 社会一般 | |
11月 | 米国ベル社、WEM社ほか2製造会社を統合し、WE社を設立 | 業界関連 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 岩垂邦彦(のち日本電気創業者)、工部大学校を卒業し、工部省電信局に勤務 | 経営一般 | |
10月 | 日本銀行営業開始 | 社会一般 | |
11月 | 東京銀座に2,000燭光のアーク灯出現 | 社会一般 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 工部省、ベル電話機の製作を打切る(製作数41個) | 業界関連 | |
9月 | 工部卿佐々木高行、太政大臣に電話事業創業を建白 | 業界関連 |