西日本重工業(株)長崎造船所『三菱長崎造船所史. 続篇』(1951.12)

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月日 事項 年表種別
明治2年(1869) 3月9日 小菅船架を英商トーマス・ブレーキ・グラバより洋銀一二万弗を以つて買収し長崎製鉄所の付属とした 工場用地五、四四三坪 初代船架長平野富次郎 重要事項
明治3年(1870) - 立神修船場廃業に対し平野富次郎建議書を差出す 重要事項
- 立神浦に乾船渠築造方を平野富次郎建議し許可を得て着工のこととなる 重要事項
明治4年(1871) 4月9日 長崎製鉄所は工部省の所管となり「長崎造船所」と改称 工部省の設置と同時に製鉄所、小菅船架とも長崎県より同省に引継ぎ平野富次郎は本官を辞す 重要事項
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