※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 仏・ローレン社の水冷W型450馬力発動機の製造権取得 | 中島飛行機 | |
5月 | 陸軍機組立工場胴体作業員60名が待遇改善を要求してストライキ、中島飛行機における唯一のストライキ、数名の処分で解決 | 中島飛行機 | |
9月 | 中島喜代一を欧米航空界視察ならびに東京工場用機械買い付けに派遣 | 中島飛行機 | |
11月1日 | *(株)石川島飛行機製作所設立 | 一般・業界(*印) | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月22日 | 治安維持法公布 | 一般・業界(*印) | |
5月5日 | 普通選挙法公布(昭3.2.20実施) | 一般・業界(*印) | |
8月 | モロー、ドモンジョ、ルゴックの3技師、ローレン発動機製作指導のため来社(昭2帰国) | 中島飛行機 | |
11月 | 東京工場完成、発動機生産開始 | 中島飛行機 | |
12月 | 英・ブリストル社のジュピター6型空冷420馬力発動機の製造権取得 | 中島飛行機 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月6日 | 中島喜代一を欧米航空界視察ならびにジュピター図面・治工具購入のため再度欧米に派遣 | 中島飛行機 | |
11月18日 | *(株)豊田自動織機製作所設立 | 一般・業界(*印) | |
- | ローレン450馬力1号機試作完成 | 中島飛行機 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇崩御(1879生、48歳)・摂政裕仁親王践祚し、昭和と改元 | 一般・業界(*印) | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 陸軍は競争試作制度制定後初の単座戦闘機の競作を中島、三菱、川崎、石川島の4社に指示 | 中島飛行機 | |
3月15日 | 蔵相発言と東京渡辺銀行ほか1行の休業を契機に金融恐慌始まる | 一般・業界(*印) | |
4月30日 | 中島乙未平、パリからマリー、ロパン両技師を伴って帰国、両技師を中心に試作戦闘機NC型設計開始 | 中島飛行機 | |
4月 | ブリストル社バーゴイン、ホーブス両技師、ジュピター発動機製作指導のため来社(昭3帰国) | 中島飛行機 | |
5月20日 | (21日まで)*リンドバーグ大尉が大西洋無着陸単独飛行に成功 | 一般・業界(*印) | |
6月1日 | *航空法施行(太平洋戦後廃止まで民間航空根本法規) | 一般・業界(*印) | |
9月17日 | *東洋コルク工業(株)、東洋工業(株)と改称 | 一般・業界(*印) |