※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 社名を梁瀬自動車工業(株)と改称 | ヤナセ関係 | |
- | 高浜工場において特種車体製造及び液体ガス自動車用燃料機の製作を行ない、電気自動車及びオートバイならびに中古自動車の販売を開始 | ヤナセ関係 | |
- | ビュイック四〇年型をヒットラー型に改造し東条首相に納入 | ヤナセ関係 | |
- | 政府、日本GM(株)及び日本フォード(株)の閉鎖を命ずる | 業界関係 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 全国的に自動車の速度制限始まる | 業界関係 | |
11月 | ガソリン配給制実施 | 業界関係 | |
- | (株)梁瀬電機製作所設立 | ヤナセ関係 | |
- | 陸海軍の徴発した自動車の修理業務開始 | 業界関係 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 梁瀬モータース(株)を梁瀬産業(株)と改称 | ヤナセ関係 | |
10月 | 商工省、高級乗用車の国内供給のため日産、トヨタ、ヂーゼルの三社に試作を委任 | 業界関係 | |
12月31日 | 大阪支店、名古屋支店、福岡支店廃止 | ヤナセ関係 | |
- | 風船爆弾の材料製造 | ヤナセ関係 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 本社は、自動車工業を専業とすることとし、販売業務の一部を梁瀬産業に譲渡 | ヤナセ関係 | |
2月6日 | 本社事務所を高浜工場内へ移転 | ヤナセ関係 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月19日 | 名古屋支店、横浜支店、空襲により焼失 | ヤナセ関係 | |
5月25日 | 空襲により芝浦工場一部焼失 | ヤナセ関係 | |
5月25日 | 大阪支店桜橋事務所、空襲により事務所焼失 | ヤナセ関係 | |
5月31日 | 第五十一回株主総会において代表取締役会長に梁瀬長太郎、代表取締役社長に梁瀬次郎選任さる | ヤナセ関係 | |
5月 | 梁瀬車庫、戦災により焼失 | ヤナセ関係 | |
6月13日 | 製造部吉井工場開設(九月三十日閉鎖) | ヤナセ関係 |