※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 米国GM社製品の日本総代理権を返還、スチュードベーカー、フィアット、オペル、レオトラック、オースティンの販売権を獲得 | ヤナセ関係 | |
5月30日 | フィアット部を新設 | ヤナセ関係 | |
6月1日 | 芝浦工場の事務所、倉庫新築落成 | ヤナセ関係 | |
12月18日 | 本店京橋千代田館へ移転(京橋区南伝馬町) | ヤナセ関係 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月31日 | 仙台出張所廃止 | ヤナセ関係 | |
- | レオバスの一手販売権獲得 | ヤナセ関係 | |
- | この年不況のため社員の昇給ストップ | ヤナセ関係 | |
- | 米国クライスラー社プリムス、デソート車を発表 | 業界関係 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | 広島出張所廃止 | ヤナセ関係 | |
10月1日 | 東京自動車商組合設立 | 業界関係 | |
10月24日 | 世界大恐慌はじまる | 社会的事件 | |
-9日 | 相武乗合自動車(株)の営業を引受ける(杉田―金沢―戸塚―弘明寺) | ヤナセ関係 | |
- | 隅田自動車の営業権を金三〇、〇〇〇円で徳川義親氏へ譲渡 | ヤナセ関係 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 梁瀬自動車、梁瀬商事合併 | ヤナセ関係 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | GM社と再び総代理店契約締結 | ヤナセ関係 | |
8月20日 | 本店新社屋へ移転(日本橋区通三丁目、新社屋はライト直門の遠藤新博士の設計によるライト式建物)建築費五四、八〇〇円 | ヤナセ関係 | |
9月18日 | 満州事変はじまる | 社会的事件 | |
- | ダットサン号完成(ダット自動車(株)) | 業界関係 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月1日 | 京都出張所廃止 | ヤナセ関係 | |
8月6日 | 横浜支店廃止 | ヤナセ関係 |