東京写真材料商業協同組合『東京写真材料商業協同組合100年史 : 1906-2006』(2006.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
2月11日 東洋乾板株式会社設立。 [組合]
7月25日 日本光学工業株式会社(ニコンの前身)設立。 [組合]
9月15日 オリエンタル写真工業株式会社設立、大日本セルロイド株式会社設立(1934年にフィルム部門が独立し、富士写真フイルムに)。 [組合]
10月12日 株式会社高千穂製作所(オリンパスの前身)設立。 [組合]
11月 旭光学合資会社(ペンタックスの前身)設立。 [組合]
- *大戦を契機とした日本経済の飛躍的発展と近代化によって、写真機材の需要も増大した。写真機材の輸入が激増すると同時に国内製造業も強い刺激を受け、次々に製造会社が設立された。 [組合]
- 朝鮮各地に独立運動起こる [一般・業界]
- 中央本線、万世橋―東京間開業 [一般・業界]
- 「キネマ旬報」創刊 [一般・業界]
- 三菱銀行創業 [一般・業界]
- 帝国美術院設立 [一般・業界]
- 第1回帝展 [一般・業界]
- スペイン風邪、日本で死者15万人 [一般・業界]
- 感光材料の国産化開始(オリエンタル写真工業) [一般・業界]
- 独のワイマールに総合デザイン学校「バウハウス」設立 [一般・業界]
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- *第一次大戦後、ドイツに悪性インフレが起こり、マルクが大暴落しドイツ製品が極度に安く輸入できた。その結果、材料商は大きな利益を得た。また、そのころ戦後の中間景気の需要(アマチュアの写真愛好家が激増したこと)によって材料商の数も増え、材料の販売と現像・焼付・引伸を行う営業形態となった。 [組合]
- *このころ安価なドイツ製品の流入によるアメリカ製カメラの暴落を理由に、組合の価格安定方針に背いて浅沼商会がカメラの安売りを行い、それをきっかけに組合に紛争が生じた。浅沼商会を一時除名処分にしたが、話し合いの結果、組合に再び加入した。その後、組長になる者がなく2年ほど組長が空白の時代が続いた。 [組合]
- 平塚らいてう、市川房枝ら新婦人協会発会 [一般・業界]
- 日本最初のメーデー、上野公園で1万人余参加 [一般・業界]
- 第7回オリンピック、アントワープで開催し日本選手16名参加 [一般・業界]
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