東京写真材料商業協同組合『東京写真材料商業協同組合100年史 : 1906-2006』(2006.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
- 鹿児島本線、門司―鹿児島間全通 [一般・業界]
- 東京天文台、ハレー彗星の写真撮影に成功 [一般・業界]
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
7月23日 東京写真材料商組合主催による銚子海岸大撮影会開催。//※各組合員が募集した会員、賛助員および組合員、計230余名が参加。両国停車場より5両の別仕立列車で銚子へ。銚子では地元東海写真同好会会員の盛大な歓迎を受ける。昼食後、各自自由に犬吠や銚子の港で写真撮影を行う。夜は暁鶏館に宿泊、参加者同士の交流を深める。(7月24日まで) [組合]
9月1日 東京写真材料商組合出版部、月刊雑誌「フォトグラフ」発刊。//※写真技術の啓蒙記事が中心の雑誌。読者に誌面の一部を提供して機関誌としての利用を許可したり、写真発表の場としても開放していた。 [組合]
11月19日 東京写真材料商組合主催による初の写真品評会を開催。//※出品印画(銚子海岸大撮影会で撮影したものとその他1種)250余点。陳列会場は上野公園不忍池畔の東京勧業協会。当選者には賞品授与。一般の入場者多数で大盛況となった。//【審査】審査長/伯爵松平直之氏//審査員/黒田清輝氏、岡田三郎助氏、結城林蔵氏、宮内幸太郎氏、渡辺進氏。(11月20日まで) [組合]
- *第一次大戦の勃発によって海上輸送が危険になり、さらに為替取引の停止なども加わり、当初輸入が困難となった。写真機材のほとんどをドイツなどからの輸入に依存していた写真業界は、写真機材の払底による価格高騰のため大打撃を受けた。 [組合]
- 常総沖で千葉・茨城県の漁船133隻が暴風雪により遭難、2000人余溺死 [一般・業界]
- 東京で明治最大の洪水 [一般・業界]
- 朝鮮総督府官制公布 [一般・業界]
- 白瀬中尉ら南極探検隊芝浦出航 [一般・業界]
- 石川啄木「一握の砂」 [一般・業界]
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
- 西田幾多郎「善の研究」刊 [一般・業界]
- 幸徳秋水ら12名を死刑執行 [一般・業界]
- 帝国劇場開場 [一般・業界]
- 中央本線全通 [一般・業界]
- 講談本「立川文庫」刊行 [一般・業界]
- 「講談倶楽部」創刊 [一般・業界]
- 辛亥革命 [一般・業界]
1912年 - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
- 石川啄木没 [一般・業界]
- ストックホルムの第5回オリンピックに初参加 [一般・業界]
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