※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 名古屋市中区に舟橋商会創立。スタンプ台の製造販売開始。 | ||
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 門司市に九州営業所を設立。 | ||
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 販売部門を独立させ、シヤチハタ商事株式会社を設立。 | ||
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 貿易部を設置、天津、上海に出張所を設立。舟橋商会を改組し、シヤチハタ工業株式会社を設立。 | ||
11月 | 新京市に満州シヤチハタ工業株式会社を設立。 | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 本社、工場ともに名古屋空襲にて被災。 | ||
4月 | 愛知県一宮市に営業所および工場を新設。 | ||
7月 | 一宮工場も空襲にて被災、満州シヤチハタ工業株式会社も終戦にて摂取さる。 | ||
9月 | 名古屋市西区に工場を再建、大量生産方式確立。 | ||
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 門司市にシヤチハタ産業株式会社を設立。 | ||
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 名古屋市西区上畠町にシヤチハタ本社を設立。 | ||
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 東京都に東部シヤチハタ商事株式会社を設立。 | ||
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 興国産業株式会社をシヤチハタ製缶株式会社と改称。 | ||
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 大阪市にシヤチハタ商事株式会社大阪支店開設。 | ||
8月 | 中小企業庁長官より優秀工場として表彰される。 | ||
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 札幌市にシヤチハタ商事株式会社札幌支店開設。 | ||
昭和29年(1954) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会を組織し、『渋沢栄一伝記資料』全58巻の編集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 舟橋金造会長、藍綬褒章を授与される。 | ||
11月 | 工場隣接地に新工場を建設し移転。旧工場は改築してシヤチハタ製缶株式会社が入居。 | ||
昭和30年(1955) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会、『渋沢栄一伝記資料』第1巻を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 高松宮殿下、新設両工場を御視察。 | ||
昭和31年(1956) | - | 【竜門社】創立70周年記念総会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 福岡市にシヤチハタ産業株式会社を移転、拡張。 |