※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 横浜正金銀行(現東京銀行)開業。 | ザ・ヒストリー | |
- | 鹿島組(現鹿島建設)創業。 | ザ・ヒストリー | |
- | 茂木重次郎、ペンキの国産化に成功しペンキの販売を開始。(明治13年5月27日付新聞広告による) | ザ・ヒストリー | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 茂木重次郎、光明社(現日本ペイント)を創設、洋式ペンキの製造を開始。 | ザ・ヒストリー | |
- | 小学校教則綱領制定 | [一般] | |
- | 自由党結成 | [一般] | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 日本銀行創業。本店営業所は日本橋区の旧北海道開拓使出張所跡に新改築した。また大阪にも大阪支店を開業(12月)。 | ザ・ヒストリー | |
- | 田中久重氏、芝浦(芝金杉新浜町)に工場を設置、田中製造所と称した。 | ザ・ヒストリー | |
- | 初代八十吉、新橋の田中工場に引き続き、芝浦の工場内に出張所を設け機械類の塗装に従事した。 | ザ・ヒストリー | |
- | 工事経歴●日本銀行本店営業所●年代不詳であるがこの頃東京帝国大学赤門、浅草寺の塗替を行う●東京電灯蔵前火力発電所●鉄道車両塗装●田中製造所の製品の塗装(~明治24年) | ザ・ヒストリー | |
- | 軍人勅諭発布 | [一般] | |
- | 東京専門学校(早稲田大学の前身)創立 | [一般] | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 鹿鳴館開館、東京電灯会社(現東京電力)創業。 | ザ・ヒストリー | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 東京瓦斯会社設立。 | ザ・ヒストリー | |
- | 堀田瑞松氏、堀田錆止め塗料を製造(わが国の国産特許1号)。 | ザ・ヒストリー | |
- | 日本銀行が最初の兌換銀行券10円発行 | [一般] | |
- | 第1次伊藤内閣成立 | [一般] | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 皇居の塗装に国産白ペンキ採用。 | ザ・ヒストリー | |
- | 北海道庁設置 | [一般] | |
- | 教科書用図書検定条例公布 | [一般] |