三菱『三菱の百年』(1970.10)

"岩崎小弥太"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治39年(1906) 5月 岩崎小弥太(弥之助長男)三菱合資の副社長に就任。 重要事項
大正5年(1916) 7月1日 社長岩崎久弥退任、副社長岩崎小弥太社長に就任。 重要事項
大正6年(1917) 7月 日本光学工業KK設立、資本金200万円。同社は東京計器製作所の光学部門と岩城硝子製造所の反射鏡部門を合同し、岩崎小弥太が援助した。翌7年藤井レンズ製造所を合併、大正11年三菱造船が経営に参加、昭和16年三菱本社の統制下に入る。 重要事項
大正8年(1919) 1月 財団法人成蹊学園設立、岩崎小弥太による成蹊学園の基礎確立。 重要事項
昭和15年(1940) 9月 岩崎小弥太は静嘉堂文庫を財団法人として一般に公開。 重要事項
昭和17年(1942) 12月 三菱社々長岩崎小弥太は首相官邸における産業経済代表者懇談会に出席、その後参内。 重要事項
昭和20年(1945) 12月2日 三菱本社前社長岩崎小弥太病死。 重要事項
昭和32年(1957) 12月 岩崎小弥太伝刊行(三菱本社々誌編纂委員会編) 重要事項
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