※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶長16年(1611) | - | 伊藤拓道、名古屋本町に呉服小間物問屋(のちにいとう呉服店から松坂屋)創業 | 業界・一般社会の動き |
寛文2年(1662) | - | 大村彦太郎、江戸日本橋通り2丁目に小間物店(のちに白木屋呉服店から東急百貨店)創業 | 業界・一般社会の動き |
延宝元年(1673) | - | 三井高利、江戸日本橋に越後屋(のちの三越)創業 | 業界・一般社会の動き |
享保2年(1717) | - | 下村彦右衛門正啓、京都伏見に呉服店(のちの大丸)創業 | 業界・一般社会の動き |
宝暦8年(1758) | - | ジャスコの前身・岡田屋創業。元祖岡田惣左衛門が四日市久六町で太物・小間物商を始める。屋号、篠原屋 | 当社の動き |
寛政10年(1798) | - | 元祖岡田惣左衛門没 | 当社の動き |
天保元年(1830) | - | 大和屋伊兵衛、大阪座摩神社に古手商(後の十合呉服店からそごう百貨店)創業 | 業界・一般社会の動き |
天保2年(1831) | - | 飯田新七、京都烏丸にたかしまや飯田呉服店(後の高島屋)創業 | 業界・一般社会の動き |
嘉永3年(1850) | 12月 | 五世惣右衛門(現ジャスコ名誉会長岡田卓也の祖父)生まれる(幼名由松) | 当社の動き |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 五世惣右衛門、行商に出る(14歳)。日永うちわ、さらし木綿、紅木綿などの無地ものを商う | 当社の動き | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 五世惣右衛門、天秤棒を大八車に替え、行商から出張売り出しへ。仕入れは名古屋、松阪まで広げる | 当社の動き | |
- | 横浜でアメリカ人がビールを醸造 | 業界・一般社会の動き | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 早矢仕有的、丸善開業 | 業界・一般社会の動き | |
- | パンの木村屋総本店創業 | 業界・一般社会の動き | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 築地精養軒開業 | 業界・一般社会の動き | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 新橋・横浜間の鉄道が開通し、新橋駅に西洋食堂が開業 | 業界・一般社会の動き | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | アイスクリーム登場 | 業界・一般社会の動き | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 肉食盛んになり広まる | 業界・一般社会の動き | |
- | 銀座煉瓦通り完成 | 業界・一般社会の動き | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 売薬規則制定 | 業界・一般社会の動き |