(株)町田糸店『町田百二十年のあゆみ : 駒形一丁目一番』([1983])

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
9月1日 午前11時58分に発生した大地震と大火災により東京市をはじめ湘南地方一帯の被害多大であった。 社会事情
- 二代(57歳)、関東大震災のため厩橋の店舗は全焼。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
11月 二代(60歳)、11月東京人造絹糸吉原工場が竣工した。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
4月 資本金1000万円にて東京人造絹糸株式会社を創立する。本社を厩橋の町田糸店内に置き、徳之助が社長に就任した。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
11月 前年より着工中の店舗が落成した、鉄筋、耐震、耐火構造5階建て(延べ約280坪)。1階を販売部とし2階以上に東京人絹、二徳商会、東京艶糸各社事務所と会議室、住込み店員宿泊室等を置いた。//屋上から遠く隅田川一帯を鳥瞰出来た。当時厩橋交差点附近にはビルは一つもなかった。 町田120抄史 ●昭和(戦前) 厩橋にそびえる近代ビル
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
4月 天皇陛下静岡県下をご巡行に際し、特に侍従牧野氏を東京人絹吉原工場に差遣された。5月に同社製品を献上す。 町田120抄史 ●昭和(戦前) 厩橋にそびえる近代ビル
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
- 町田糸店は創業70年になった。前年皇太子の誕生もあり、私財100万円を投じ、かつ品川邸内の土地2000坪を寄附して、町田報徳学舎(男子3年制商業学校)を設立した。 町田120抄史 ●昭和(戦前) 厩橋にそびえる近代ビル
昭和10年(1935) - 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 渋沢関係略年譜
4月 町田報徳学舎の新校舎が落成し、第1回の入学生を迎えた。 町田120抄史 ●昭和(戦前) 厩橋にそびえる近代ビル
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
- 2・26事件起る。日本も準戦時体制に移行しつつあった。 社会事情
昭和12年(1937) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 渋沢関係略年譜
4月 かねて建設中の東京人絹沼津工場(現藤倉電線工場)完成。スフの専門工場で日産30トン。自家発電、廃液処理設備、薬品自給体制(硫酸、二硫化炭素)を備える。 町田120抄史 ●昭和(戦前) 厩橋にそびえる近代ビル
- 日華事変起る。 社会事情
昭和13年(1938) - 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 渋沢関係略年譜
- 米のデュポン社がナイロンを工業化す。 社会事情
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
9月 第2次世界大戦起る。 社会事情
- 徳之助(74歳)、政府の方針で卸小売の兼営が不可能になり、町田糸店の卸部門を独立させ、11月に町田商事株式会社を設立する。また国策の線に沿い、逗子町桜山に東洋パラシュート(株)を興す。敷地3000坪、工場550坪。 町田120抄史 ●昭和(戦前) 厩橋にそびえる近代ビル
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
12月8日 太平洋戦争に突入す。 社会事情
- 企業整理により東京人絹(株)解散 町田120抄史 ●昭和(戦前) 厩橋にそびえる近代ビル
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月 東京大空襲。 社会事情
8月15日 日本降伏す。 社会事情
- 3月の空襲により、ビル内部まで火災にあい、当分は営業の目途が立たなかった。とりあえず品川邸内の町田報学舎を仮事務所とし、残務整理に当たった。 町田120抄史 ●昭和(戦前) 厩橋にそびえる近代ビル
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
10月 駒形にて業務を再開する。しかし町田糸店は商品も少なく、書籍雑誌等も販売した。 町田120抄史 ●昭和(戦後) 波乱を乗り越え、新たに前進
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