(株)町田糸店『町田百二十年のあゆみ : 駒形一丁目一番』([1983])

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
- 初代町田徳之助は24歳で当時浅草黒舟町といった現在の場所に糸商を始めた。主な商品は絹糸で、商標には〓[○+十一]を用い、藤田屋を名乗る。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
- 大政奉還 社会事情
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 店舗の新築。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
- シャルドンネ(フランス)は7カ年の苦心で人絹米の連続糸条の作出に成功。 社会事情
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
1月16日 初代徳之助死去、48歳。二代は3月に家督を継ぎ徳之助と改名。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
- 二代徳之助、東京糸問屋組合頭取に推され、明治32年までその任に当たりその後は顧問であった。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
- 倉敷紡績創立。 社会事情
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
- 二代徳之助、東京貯蔵銀行監査役となる。またこの頃より小町糸の製造販売に着手。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
7月 生糸検査所官制公布(7月)、横浜生糸検査所が設けられ29年5月から仕事が始まった。 社会事情
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
1月 富士紡績(株)はこの年1月創立総会を催したが、発起人17名中に加わった。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
- 二代(31歳)、八王子、東京、横浜、神戸などの蚕糸取引所の創立に参画した。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
- 日露講和成立。 社会事情
明治40年(1907) - 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 渋沢関係略年譜
- 二代(42歳)、この頃より人絹糸の製造に注目し研究を始めた。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
- 二代(46歳)、不動産、有価証券の管理、金融の仲介、土木建築の設計等を目的とする(株)二徳商会を設立した。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
6月 東京艶糸(株)を静岡県富士郡吉原町(現在市制)に興し社長となった。//電線コード被覆・製紐、たたみ縁などの製造。戦後一時製紙に転換したが昭和30年解散。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
6月 帝国人絹がビスコース法による人絹製造を始めた。 社会事情
11月11日 第1次世界大戦はドイツの降伏で終る。 社会事情
- 二代(53歳)、12月26日を以て町田糸店を株式会社に改める。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- この年、春頃より町田糸店で手編毛糸を扱うことになった。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
- 神奈川県松田町に個人経営の東京人造絹糸製造所をつくり、人造絹糸の製造に着手した。 町田120抄史 ●明治・大正 企業家精神に富んだ二代目
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