(株)七十七銀行『いわき市と七十七銀行平支店百年の歩み : 地域と共に一世紀』(2019.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
宝暦6年(1756) - 安藤対馬守信成、加納藩主から磐城平藩主となる。 いわき市の歴史
安政3年(1856) - 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 渋沢関係略年譜
- 片寄平蔵、仁井田海岸で粉炭を発見、さらに弥勒沢で石炭の露頭を発見。 いわき市の歴史
安政7年(1860) 1月 平藩主安藤対馬守信正、老中となる。 いわき市の歴史
3月 桜田門外の変。安藤信正は老中首座として幕政を取り仕切る立場となる。 いわき市の歴史
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
6月 戊辰戦争となり官軍平潟に上陸。 いわき市の歴史
7月 磐城平城が落威。 いわき市の歴史
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
2月 平に大火発生。 いわき市の歴史
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
7月 廃藩置県により磐城平藩、泉藩、湯長谷藩が県となる。 いわき市の歴史
11月 右3県および白河県が合併し平県となる。 いわき市の歴史
11月 平県を磐前県に改称。 いわき市の歴史
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
8月 磐前県、若松県、福島県が合併し、現在の福島県となる。 いわき市の歴史
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
4月 大蔵省より国立銀行創立の免許をこうむり、第七十七銀行の名称を受ける。 七十七銀行のあゆみ
12月 第七十七国立銀行営業開始。資本金は25万円。頭取には氏家厚時が就任し、仙台区大町一丁目40番地に本店を設置した。 七十七銀行のあゆみ
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
3月 第七十七国立銀行紙幣発行。 七十七銀行のあゆみ
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
1月 遠藤敬止が頭取に就任。 七十七銀行のあゆみ
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
7月 東京支店を開設。 七十七銀行のあゆみ
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
2月 平町発足、戸数900、人口8000。 いわき市の歴史
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
4月 石巻支店を開設。 七十七銀行のあゆみ
10月 浅野総一郎、渋沢栄一らの中央資本と、山崎藤太郎らの地元資本により磐城炭礦社設立。資本金4万円。 いわき市の歴史
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
7月 資本金を50万円に増資。 七十七銀行のあゆみ
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