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清水建設(株)『清水建設百五十年』(1953.11)
基本情報
目次
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年表
資料編
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目次項目
ページ
題字 渋沢敬三
巻頭
序 清水康雄
NP
第一篇 江戸時代(一八〇四~一八六七)
巻頭
巻頭
巻頭
扉 原色版-飾道具箱
巻頭
越中と初代清水喜助
巻頭
初代喜助の肖像画について
巻頭
飾道具箱―手斧初め式
巻頭
清水武兵衛尉助房の像に寄せて
巻頭
初代清水喜助
p1
清水屋開業―資本金は銀三分
p1
将軍家斎の日光山修営―大工喜助
p1
江戸城と清水屋―天保の倹約令
p3
五十両の香奠―喜助の義侠
p3
武家と町人
p4
穴八幡の造営―千余両の損失
p6
江戸の災禍―火事は江戸の華
p8
河内・日向・出雲―折烏帽子・指貫着用
p12
日光輪王寺宮―浅草寺・寛永寺
p15
浅草寺輪蔵―新門辰五郎と清水喜助
p16
横浜開港と幕府の横浜発展策
p18
清水家横浜進出―初代喜助の急逝
p20
肝煎
p21
二代清水喜助―江戸時代
p23
二代喜助の相続
p23
横浜とカツトメハウス
p24
神奈川役所定式普請兼入札引受人
p25
角力久兵衛
p26
西洋建築の元祖
p26
三囲稲荷―三井家と二代喜助
p27
三囲神宮の沿革―向島七福神
p28
横浜店焼失―豚小屋火事
p29
徳川幕府最初の貿易と居留地問題
p31
築地ホテル館―本邦初のホテル
p32
築地ホテル館考
p35
二代喜助の身分書
p36
挿入原色版
p36
江戸城西丸御座之間絵図部分
p36
御江戸絵図部分―宝永版
p36
模写向島三囲稲荷内社殿
p36
横浜吉田町都橋々畔清水方表掛之図
p36
東都築地ホテル館之図―広重
p36
第二篇 明治時代(一八六八~一九一二)
p37
二代清水喜助
p37
明治維新と二代喜助―築地ホテル館経営
p37
銀行の始め―伊藤博文と渋沢栄一
p38
三井組の銀行経営―三野村利左衛門
p39
三井組ハウス―第一国立銀行
p40
第一国立銀行株式募集広告
p41
宮中女官の第一国立銀行巡覧
p42
銀行の行き悩み―三井バンクは第一国立銀行に
p43
為換バンク三井組
p43
村田満之助清水屋に入る
p45
渋沢邸の新築―唐獅子彫刻の不評
p46
二代喜助の独創と満之助の突貫工事
p47
二代喜助の金策―一万円
p48
築地ホテル館の焼失―銀座通り
p49
二代喜助時代の職制―原林之助の入店
p49
二代喜助の死去―本石町の居宅
p50
店蔵造の石町店
p51
一本の手拭―本石町の事
p52
三代清水満之助
p53
三代満之助の相続と清水武治店
p53
大事と小事―青淵先生訓
p55
伊藤博文と工部大学
p56
外人技師の来朝―日本最初の煉瓦造
p57
曽禰博士と林之助―辰野博士と三代満之助
p59
建築学の本
p59
三代満之助の店内改革
p60
皇居造営と其の他の建物
p61
造家学会と三代満之助
p62
工学士坂本復経の入店―三代満之助の洋行
p63
四代清水満之助
p65
三代満之助の遺言と渋沢相談役―小野釘吉
p65
渋沢栄一翁と原林之助
p66
渋沢翁の方針―原支配人に与えた教訓
p67
原支配人の改革―最初の工事請負契約書
p68
坂本復経の死―中村達太郎・渡辺譲
p70
渋沢翁と清水家々法制定―組織経営
p71
本店東京復帰と工事の活発化
p72
地震と釘吉
p72
濃尾大地震と中京―関西進出
p73
日清戦争後の好景気―紡績工場と第一銀行・三井ハウス取毀し
p75
岡本〓[壮+金]太郎の洋行―代々の技師長
p76
元方会議―清水釘吉-ウイリアムバーナムの鉄骨図面
p77
本店移転と創業百年―韓国・台湾進出
p78
日露戦争と清水店―組織の確立
p79
鉄骨・鉄筋コンクリートの施工
p81
建築業協会の成立―横河民輔・原林之助・大倉粂馬
p82
渋沢実業視察団長と原林之助
p83
支配人の靴
p84
挿入原色版
p84
東京名所海運橋五階造真図―国輝
p84
東京駿河町三井組三階家西洋形之図―国輝
p84
明治二十四年一改正清水満之助店営業規定抄
p84
竣工写真集成・1
〔2-〕1
明治年間の主な施工
〔2-〕1
第三篇 大正時代(一九一二~一九二六)
p85
青山大葬場工事―営業監督清水釘吉
p85
原支配人の死去―渋沢栄一翁の追懐談
p86
傍系会社の創立―栄進社
p89
合資会社清水組の設立
p90
欧州大戦と其の影響
p91
設計部門の強化―建築作品集の発刊
p92
芝増上寺の改築
p93
三代未亡人の死去―清水康雄宗家に入る
p94
丸ビルとフーラー建築会社―驚くべき工事の速度―実費清算方式
p96
現場関係技術者の充実と店員米国留学―フーラー建築会社
p97
設計事務所の出現と建築士会―建築部門独立問題
p98
清水康雄の海外視察―半纏支給
p99
清水組の附属施設―鉄骨・石・砂利・木材
p100
関東大震災―鞘町本店炎上―一番乗り東海銀行
p102
震災復興と清水組の活躍―大工道具と馬
p103
震災と東京会館
p103
大震災復興工事状況
p104
震災の影響と構造理論の発展―後藤新平の大風呂敷
p105
小笹技師の海外視察とスパニツシュスタイル―京都ホテル
p106
鶴見騒擾事件―大正末期の縄張争い
p107
竣工写真集成・2
〔2-〕25
大正年間の主な施工
〔2-〕25
第四篇 昭和時代・終戦迄(一九二六~一九四五)
p109
不況来―昭和五年の苦境
p109
五代康雄の相続と清水家の充実
p110
東京会館の招宴
p111
不況の深刻化と佐野利器の副社長就任
p112
第一銀行ビル―渋沢敬三建築部長
p113
服部時計店の新築
p114
渋沢栄一翁の逝去と晩香盧
p116
聖路加病院の建築―トイスラー博士
p119
百貨店建築―三越・白木屋・伊勢丹・松屋・大丸・丸物・大和
p120
昭和電工関係工事
p123
佐野副社長の苦闘と砂町争議
p124
内務省工事―一日五十銭の賃金
p125
本社移転
p126
内山熊八郎の専務理事就任―景気恢復
p126
日本銀行増築工事
p127
地下鉄工事と泰阜発電所工事
p129
内山熊八郎の社葬
p132
専務制の廃止―三常務理事―三代満之助五十年祭
p132
兼喜会について―会報について
p133
社長清水釘吉古稀の祝―胸像贈呈
p134
海野技師長の洋行―メキシコ進出
p135
伊豆地震と関西風水害
p135
北支進出と福島常務理事の視察
p136
第一生命相互ビル―警視庁の円卓会議―潜函工事
p137
高層建築地下のアンダーピンニング
p141
株式会社の設立
p142
福島常務取締役の死去―小笹常務取締役の本社勤務
p142
内山熊八郎の一言
p143
福島政吉の着想
p143
東京電力ビル沈下防止工事
p144
無音・無震動基礎杭工法とフラツシュバツト式電弧溶接法
p145
株式会社満州清水組の設立と台湾支店
p147
日清紡績と清水組―国策パルプ旭川工場
p149
紀元二千六百年式典―社長・副社長の改選
p150
軍建協力会及び海軍施設協力会
p152
名古屋・京都・大阪三支店の開設五十年
p153
天皇陛下に拝謁―清水社長
p155
朝鮮支店と江界発電所
p156
副社長清水俊雄の死去
p157
東京支店の開設と重役陣の強化
p157
三菱地所関係工事―樺太進出
p158
清水釘吉伝記刊行
p159
戦時中の工事
p159
北支清水組・上海清水組―南方進出
p160
空襲―本社被弾―営業奉還
p161
本社の被害及び疎開状況
p162
重役の決戦体制
p162
社長の訣別視察―社報の巻頭言「国難来」
p163
挿入写真版
p163
戦時体制下に行われた永年勤続社員表彰式
p163
第五篇 昭和時代・終戦後(一九四五~一九五三)
p165
昭和直後の処置
p165
終戦直後の工事
p166
新支店の開設―広島・仙台・北陸・四国支店―北海道・九州支店
p167
幹部の異動
p170
終戦直後に於ける外地支店の処置―外地帰還社員援護会
p170
厚生施設の拡充―厚生会・共済会
p173
海野常務取締役の死去
p174
職員組合の誕生
p175
食糧対策
p175
清水釘吉夫人の死去
p176
戦時補償打切と石橋蔵相
p177
社名の変更―東京支店の廃止
p177
清水釘吉の死去
p178
役員の異動
p180
戦後の外遊
p180
愛清会
p182
研究部の誕生
p183
歌舞伎座の改築
p183
金龍山浅草寺の再建
p185
沖縄工事―終戦後の海外進出
p186
日本相互銀行本社の新築
p188
新丸の内ビルヂイング工事
p189
日本テレビ東京放送局
p190
増資―現機構一覧
p192
挿入原色版
p192
金龍山浅草寺晩鐘―広重
p192
竣工写真集成・3
〔2-〕49
昭和年代の主な竣工
〔2-〕49
第六篇 附録
巻末
年表(一八〇四~一九五三)
巻末
現役員
巻末
本支店・工場・事業場
巻末
関係会社一覧
巻末
事項索引
巻末
社章の変遷―七五三丸喜
巻末
後記
NP
装画 鈴木千久馬
NP
索引リスト