住友金属鉱山(株)『住友別子鉱山史. 上巻』(1991.05)

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目次項目 ページ
[目次] NP
口絵 巻頭
発刊にあたって NP
監修のことば NP
第一部 別子銅山の開坑と盛山期 p3
第一章 別子銅山の開坑と発展 p3
第一節 別子銅山の開坑 p3
第二節 銅山の発展 p8
第二章 別子銅山の領知と経営 p15
第一節 別子銅山の支配と領知 p15
第二節 運上 p20
第三節 別子銅山の経営 p29
第三章 幕府の銅政策と別子銅山 p40
第一節 銅貿易と銅座 p40
第二節 銅貿易と別子銅 p45
第三節 大坂の銅吹所 p55
第四節 幕府の産銅政策と別子銅山 p60
第四章 別子銅山の稼行 p68
第一節 採鉱と製錬 p68
第二節 排水作業 p74
第三節 経営稼行の推移 p75
第五章 別子・立川両鉱山の関係 p84
第一節 別子・立川銅山鋪内抜合事件 p84
第二節 立川銅山地域の上知 p86
第三節 別子・立川両銅山一手稼行の問題 p90
第二部 江戸中・後期の別子銅山 p97
第一章 老山化の徴候 p97
第一節 元禄七年と明和三年の銅の生産費 p97
第二節 採鉱 p102
第三節 製錬 p108
第四節 炭山 p112
第五節 施設と人員 p117
第二章 立川銅山の併合 p130
第一節 享保~宝暦期の立川銅山 p130
第二節 立川銅山の併合 p144
第三節 正徳から宝暦期における幕府の銅政策 p152
第三章 一手稼行後の別子・立川銅山 p164
第一節 一手稼行の完成 p164
第二節 経営組織と銅山の生活 p166
第三節 銅山の経理 p179
第四節 明和の銅座と別子産銅 p186
第五節 買請米制度の展開 p189
第六節 一万俵貸付と八蔵屋 p196
第四章 銅山経営の苦悩 p200
第一節 炭山の遠隔化 p200
第二節 天明の大涌水と小足谷抜水 p207
第三節 買請米制度の改定 p214
第四節 地売銅の売上げ p217
第五節 寛政十二年の銅山改革 p224
第六節 化政期の災害と涌水 p232
第三部 幕末・明治前期の別子銅山 p241
第一章 幕末期別子銅山の経営危機 p241
第一節 天保期の経営難と別子休山願 p241
第二節 幕末期の経営組織 p251
第三節 嘉永期の三角排水と買請米値段 p265
第四節 安政の涌水と御用銅値段 p271
第五節 長崎御用銅の廃止と買請米 p277
第六節 買請米の継続願と別子騒動 p280
第二章 明治維新の動乱と別子稼行権の確立 p288
第一節 別子銅山の接収と大阪本店銅蔵の封鎖 p288
第二節 別子稼行の諸出願と家政改革 p298
第三節 「開坑規則」の制定と立川精銅場の操業 p305
第四節 別子銅山開拓資金の確保と神戸出店の設置 p310
第五節 買請米の終焉と別子改革 p317
第六節 「鉱山心得」の制定と諸負債の償却 p325
第七節 経営の安定と月給・等級制の採用 p331
第八節 「日本坑法」の制定と諸懸案の解決 p338
第三章 別子鉱山近代化プランの実践と苦悩 p345
第一節 別子近代化の問題点とラロックの目論見書 p345
第二節 別子近代化起業方針の策定と組織の整備 p356
第三節 第一次近代化事業の達成と第二次起業案の策定 p363
第四節 人材の確保と家法の制定 p370
第五節 松方デフレと第二次起業案の見直し p378
第六節 東延新鋪の開さくと東延事業所の設置 p385
第七節 小足谷疎水道・第一通洞の完成と山林の確保 p389
第八節 新居浜惣開製錬所の建設と苦悩 p395
第九節 別子製礦課改革と山根製錬所の建設 p400
第四章 別子鉱山の発展と事業の多角化 p407
第一節 産銅市場の活況と採鉱量の増加 p407
第二節 新居浜惣開・山根製錬所の操業 p413
第三節 別子製礦課の再編と製炭課の設置 p419
第四節 鉱業条例の制定と組織の再編 p421
第五節 第二通洞の開さくと鉱山鉄道の敷設 p428
第六節 洋式製錬の発展と石炭エネルギーへの転換 p433
第七節 山根製錬所と製鉄事業の挫折 p441
第五章 新居浜の発展と旧別子の終焉 p452
第一節 別子鉱山の騒擾と事業整理 p452
第二節 明治二十九年の組織改革 p455
第三節 東延斜坑・三角排水の完成と東延機械場の刷新 p459
第四節 運搬事業の隆盛と発電所の企画 p466
第五節 別子高橋製錬所の拡張と湿式収銅の廃止 p470
第六節 明治三十二年の大水害と旧別子の終焉 p478
第七節 新居浜の発展と関連事業の派生 p484
索引 p505
口絵目次 巻頭
別子鉱山図 巻頭
住友家新年床飾り(床尻銅・吹炭・小鉑) 巻頭
歓喜坑(左)・歓東坑(右) 巻頭
田向重右衛門あて住友友信書状 巻頭
ラロック「別子鉱山目論見書」 巻頭
ラロック使用のトランシット 巻頭
東延斜坑機械場 巻頭
新居浜製錬所 巻頭
フレッシュヴィル別子鉱山視察状況添付略図写 巻頭
伊予別子鉱山坑内平面全図 巻頭
伊予別子鉱山坑内截面全図 巻頭
別子鉱山露頭・施設図(明治17年実測図に加工) 巻頭
別子鉱山周辺図(明治期) 巻頭
表目次 NP
第一部 p29
表1-1 18世紀前期の別子銅山従業職種別人数(正徳3~享保7年) p29
表1-2 山師家内職場別人数(元禄8年・享保8年) p33
表1-3 元禄7年焼失・再建の建物施設 p37
表1-4 別子銅入払目録、泉屋吹屋方目録・銅入払目録(元禄14年) p45
表1-5 泉屋銅元払目録・手山銅元払目録(元禄15年) p46
表1-6 泉屋銅請払(元禄15年) p47
表1-7 別子銅の配分処理(宝永5~正徳2年) p50
表1-8 手山銅・買入銅の棹銅・吹銅吹立て販売(宝永5~正徳2年) p52
表1-9 古銅座・新銅座売渡棹銅・荒銅高(正徳元年・2年) p53
表1-10 鉑10荷の鉑代・鉑吹・間吹入用(元禄16~宝永4年) p78
表1-11 鉑鏈荷数・出来銅高・入用費と鏈(鉑)10荷の出来銅高等(元禄12~宝永4年) p79
表1-12 鉑鏈荷数・出来銅高・入用費と鏈10荷の入用明細(元禄16・宝永3年) p80
第二部 p98
表2-1 銅の生産費(元禄7・明和3年) p98
表2-2 採鉱・製錬費目の比較(元禄7・明和3年) p99
表2-3 採鉱関係の稼人数(元禄8・明和6年) p99
表2-4 歓東間歩四つ留からの距離と高低差 p105
表2-5 採鉱関係の稼人数・鎚数・樋数 p106
表2-6 山留などの給銀 p107
表2-7 鉑石の歩付 p111
表2-8 吹大工の賃銀(延享3年) p111
表2-9 炭山の沿革(宝永6~宝暦11年) p113
表2-10 山内人口(正徳元~宝暦11年) p118
表2-11 稼人の内訳(正徳3~宝暦11年) p118
表2-12 稼人の内訳(寛延元年) p119
表2-13 山内施設(正徳3・元文4年) p119
表2-14 山内施設(寛延元年) p120
表2-15 部署と手代数の変遷(享保6~明和6年) p124
表2-16 勘場の手代一覧(明和6年) p125
表2-17 新居浜口屋の手代一覧(明和6年) p125
表2-18 立川銅の割合御用銅高(享保元~7年) p132
表2-19 運上金・銀と産銅高(立川銅山・享保6~延享元年) p132
表2-20 採鉱関係の稼人数・鎚数・樋数(立川銅山・延享2~宝暦11年) p134
表2-21 稼人の内訳(立川銅山・延享2・宝暦11年) p135
表2-22 鉑石の歩付(立川銅山・享保元~宝暦11年) p137
表2-23 他領炭の比率(立川銅山・延享4~宝暦11年) p139
表2-24 山内施設(立川銅山・延享2年) p140
表2-25 立川銅山の山師家内(寛延元年) p143
表2-26 割合御用銅高(享保元~7年) p154
表2-27 買請米石数・値段(元禄15~宝暦11年) p159
表2-28 別子銅の割合御用銅高(享保元~7年) p161
表2-29 別子荒銅の大坂廻着高(享保11~宝暦10年) p161
表2-30 稼人の内訳(宝暦11~天保8年) p167
表2-31 山師家内の役職と給与(明和6年) p169
表2-32 稼人の賃銀(明和6年) p169
表2-33 山内施設(宝暦11~天保8年) p171
表2-34 別子銅山の収支(宝暦13年) p180
表2-35 鉑石一、〇〇〇貫目当りの経費(明和6年 p183
表2-36 買請米国別割賦割合(宝暦12~天保3年) p191
表2-37 宇摩・新居郡への買請米割付(文化11年) p193
表2-38 1万俵貸付勘定(明和元年) p197
表2-39 郡別1万俵貸付高(天明8年) p197
表2-40 土佐の炭山(宝暦~天保期) p203
表2-41 天明涌水後の湛水と排水(天明6~寛政4年) p209
表2-42 地売銅売上高(寛政11~天保8年) p223
表2-43 年代別災害件数(一六九一~一八六八年) p234
表2-44 月別災害件数 p235
表2-45 文政涌水後の湛水状況(文政9~嘉永3年) p238
第三部 p242
表3-1 別子銅山長崎御用銅・地売銅値段 p242
表3-2 産銅コスト(明和元~弘化元年) p243
表3-3 産銅高・純利益(文政6~嘉永元年) p244
表3-4 稼人主要賃銀一覧(天保14年) p247
表3-5 別子銅山職員数(天保9~文久3年) p255
表3-6 別子銅山稼人・馬・船数(弘化元~慶応元年) p255
表3-7 山内施設(弘化元~慶応元年) p256
表3-8 別子銅山職員・稼人出生地(天保5~元治元年) p263
表3-9 別子職員半期給料(慶応3年) p264
表3-10 別子銅山主要貸物値段(天保14~明治4年) p264
表3-11 産銅高・純利益(嘉永2~慶応3年) p269
表3-12 別子銅山買請米高・相場表(天保元~慶応3年) p270
表3-13 別子銅山経費・産銅コスト(安政元・2年) p273
表3-14 別子銅山経費・産銅コスト(万延元~慶応2年) p276
表3-15 稼人主要賃銀一覧(文久3~明治4年) p281
表3-16 別子銅山の純利益と大坂本店の諸経費(嘉永2~慶応3年) p284
表3-17 旧幕府銅、吹屋仲間預り高(慶応4年) p295
表3-18 鉱山局の沿革(明治元~10年) p302
表3-19 別子職員給料(明治2・3年) p313
表3-20 別子産銅売払い一覧(明治元~4年) p316
表3-21 別子銅山職員数(明治元・3・5年) p323
表3-22 買請米代金返済の推移(慶応2~明治13年) p330
表3-23 別子鉱山産銅高(明治元~9年) p332
表3-24 別子鉱山損益計算書(明治元~9年) p332
表3-25 別子山内人口(明治5年) p334
表3-26 別子鉱山等級・月給表(明治6年) p335
表3-27 別子山内稼人数(明治5・8年) p360
表3-28 住友家等級・月給表(明治9・10年) p361
表3-29 鉱区の変遷(明治19年) p363
表3-30 別子鉱山職員数(明治14~16年) p373
表3-31 別子鉱山労働者数(明治15~18年) p375
表3-32 主要産銅国(明治16~23年) p379
表3-33 銅相場(文久2~明治34年) p380
表3-34 別子鉱山産銅高(明治10~19年) p380
表3-35 別子鉱山損益計算書(明治10~19年) p381
表3-36 別子鉱山採鉱高(明治元~19年) p385
表3-37 別子鉱山運輸高(明治13~19年) p389
表3-38 別子製礦課製錬実績(明治10~18年) p401
表3-39 フランスシンジケート約定銅一覧 p409
表3-40 別子鉱山採鉱高(明治20~26年) p412
表3-41 別子製礦課粗銅・沈澱銅生産高(明治14~26年) p420
表3-42 鉱区の変遷(明治28年) p422
表3-43 労働者賃金表(明治25年) p422
表3-44 別子鉱山運輸高(明治24~32年) p432
表3-45 新居浜製錬所労働者数(明治27年) p433
表3-46 別子・新居浜製錬所粗銅製出高(明治23~32年) p435
表3-47 木炭・石炭・コークス統計表(明治13~32年) p438
表3-48 別子鉱山産銅高(明治20~27年) p444
表3-49 別子鉱山損益計算書(明治20~27年) p444
表3-50 山根製錬所製出沈澱銅・硫酸高(明治21~27年) p445
表3-51 新居浜製鉄所生産高(明治24~27年) p446
表3-52 別子・足尾鉱山近代化比較表(明治2~大正9年) p447
表3-53 わが国の産銅高(明治7~35年) p448
表3-54 別子鉱山職員数(明治22~32年) p457
表3-55 別子鉱山山内人口(明治21~29年) p458
表3-56 鉱区の変遷(明治30年) p463
表3-57 採鉱課労働者数(明治26~33年) p465
表3-58 別子鉱山採鉱高(明治27~36年) p465
表3-59 四阪島・高橋製錬所精銅コスト見積書 p471
表3-60 別子製鉱課(高橋製錬所)労働者数(明治27・31年) p472
表3-61 コークス買入れ・製造高(明治23~32年) p475
表3-62 別子沈澱銅製出高(明治24~32年) p477
表3-63 別子鉱山職員数(明治33年) p481
表3-64 新居浜製錬所労働者数(明治31・35年) p485
表3-65 別子鉱山産銅高(明治28~34年) p491
表3-66 別子植林本数(明治10~32年) p493
図目次 NP
第一部 p4
図1-1 別子銅山坑口位置関係図 p4
第二部 p184
図2-1 別子銅山の経費(宝暦11~天保2年) p184
図2-2 伊予の買請米割付村と積出港 p195
図2-3 土佐の炭山分布図 p203
図2-4 御料炭・他領炭の比率(宝暦12~天保3年) p204
図2-5 炭の使用量(宝暦12~天保3年) p206
図2-6 松山石代値段の推移(宝暦12~天保3年) p216
第三部 p252
図3-1 別子銅山組織図(幕末期) p252
図3-2 勘場図(天保期) p253
図3-3 鋪方役所図(天保期) p257
図3-4 吹方役所図(天保期) p258
図3-5 別子銅山排水経路図(安政3年) p266
図3-6 買請米値段と松山米相場の推移(天保元~慶応3年) p278
図3-7 別子銅山周辺地図(明治期) p289
図3-8 住友家組織図(明治3年) p312
図3-9 別子鉱山組織図(明治9年) p360
図3-10 別子鉱山組織図(明治12年) p371
図3-11 別子鉱山組織図(明治15年) p372
図3-12 別子鉱山第一・第二備林分布図(明治28年) p392
図3-13 銅相場の推移(文久2~明治34年) p408
図3-14 別子鉱山組織図(明治24年) p425
図3-15 別子鉱山断面図 p429
図3-16 別子鉱山運搬経路図 p431
図3-17 別子鉱山塩化焙焼系統図 p442
図3-18 別子鉱山組織図(明治29年) p456
図3-19 別子鉱山組織図(明治32年) p481
図3-20 新居浜製錬所製錬系統図 p490
写真目次 NP
第一部 p6
写真1-1 元禄四年の開坑願書 p6
写真1-2 蘭塔場 p9
写真1-3 天満浦 p11
写真1-4 入野よりおばこ峠を望む p11
写真1-5 銅山役人による荒銅改め p19
写真1-6 土佐の炭山 p25
写真1-7 鋪内の採鉱作業 p30
写真1-8 砕女による選鉱 p30
写真1-9 鉑買 p31
写真1-10 小足谷の円通寺出張所跡 p35
写真1-11 予州別子銅山初発之書付 p38
写真1-12 銅座公用留・銅座御用扣 p44
写真1-13 住友銅吹所跡 p56
写真1-14 永代請負等を主張する泉屋意見書 p61
写真1-15 焼竈 p71
写真1-16 間吹 p71
写真1-17 大和間歩 p84
写真1-18 別子立川鋪之中立会改絵図 p86
第二部 p105
写真2-1 代々水抜の銀切の跡 p105
写真2-2 焼竈 p109
写真2-3 土佐黒滝山 p115
写真2-4 狼藉取鎮め令 p123
写真2-5 予州別子銅山江家法之品書 p127
写真2-6 立川銅山図 p131
写真2-7 太平間歩 p134
写真2-8 「予州立川御銅山御公用日記」 p145
写真2-9 「銅座勘定帳」 p156
写真2-10 立川銅山請負証文 p165
写真2-11 東延の坑口と山神社 p172
写真2-12 泉屋寄進の金刀比羅宮灯籠 p175
写真2-13 山神社の祭礼 p178
写真2-14 松山藩送金為替手形 p181
写真2-15 第3次銅座跡 p187
写真2-16 明和5年の風水害による被害 p188
写真2-17 鬼ヶ城山 p201
写真2-18 葛川山 p201
写真2-19 寛永水抜および流水附近絵図 p209
写真2-20 工事途中の小足谷水抜 p213
写真2-21 地売銅仕切書 p219
写真2-22 銅山御用達名目・苗字御免達書 p221
写真2-23 別子銅山惣手代の改革請書 p225
写真2-24 掛板につき指示する友紀書状 p231
第三部 p245
写真3-1 古観音堂(蘭塔場)と観音堂 p245
写真3-2 東武旅客入山の聞合応答書(弘化2年) p248
写真3-3 焼竈図 p261
写真3-4 鉑吹・間吹炉図 p261
写真3-5 樋引の図 p272
写真3-6 広瀬宰平 p290
写真3-7 川田小一郎銅像 p291
写真3-8 土佐藩預り所制札(慶応4年) p293
写真3-9 半朱銭(慶応通宝)雛形図 p299
写真3-10 立川精銅場 p309
写真3-11 別子銅山札(山銀札) p311
写真3-12 但州生野鉱山図 p318
写真3-13 別子銅山請負許可証 p328
写真3-14 私立住友病院と私立別子尋常高等小学校目出度町分教室 p337
写真3-15 別子鉱山仮坑区券と別子鉱山借区開坑願添付図(明治6年) p342
写真3-16 別子鉱山図(明治14年) p345
写真3-17 別子鉱山報告書 p348
写真3-18 東延斜坑目印 p350
写真3-19 東延斜坑截面図 p351
写真3-20 東延斜坑坑口 p357
写真3-21 塩野門之助と海外渡航証 p358
写真3-22 住友鰻谷本邸洋館と銅橋 p362
写真3-23 牛車道 p364
写真3-24 円筒炉設計図 p366
写真3-25 別子第一近代化事業達成記念カップ p367
写真3-26 東延谷の築堤 p388
写真3-27 第一通洞南口 p390
写真3-28 惣開製錬所建設見込図 p396
写真3-29 リオチント炉 p400
写真3-30 弟地(筏津)坑業所(明治19年) p404
写真3-31 新居浜惣開製錬所 p414
写真3-32 KS銅とその広告書 p415
写真3-33 山根製錬所 p417
写真3-34 別子開坑200年記念写真(明治23年) p424
写真3-35 楠公銅像 p424
写真3-36 重任分局配置図(明治25年) p427
写真3-37 第二通洞仮通洞券(明治22年) p430
写真3-38 上部鉄道 p432
写真3-39 高橋製錬所 p436
写真3-40 忠隈炭坑(明治27年) p439
写真3-41 伊庭貞剛 p453
写真3-42 東延斜坑内部とラロックの「別子鉱山目論見書」 p459
写真3-43 東延機械場空気圧縮機(明治31年) p464
写真3-44 複式索道と単式索道 p467
写真3-45 新居浜コークス製造所 p475
写真3-46 小足谷の流水沈澱場(明治31年) p476
写真3-47 別子大水害(明治32年) p479
写真3-48 別子鉱山遭難流亡者碑 p480
写真3-49 長方形水套炉 p486
写真3-50 七番山の植林 p493
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