日本石油(株)『日本石油百年史』(1988.05)

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沿革 越後からの出発 明治21年(1888年)5月 絵、当社創立当時の新潟・万代橋付近(明治21年)//創業の舞台となった新潟県出雲崎周辺の古地図(越後国細見図、天保13年) 〔1〕
沿革;施設 灯火の時代と手掘井 明治2年(1869年)、明治中期 写真、絵//明治中期の油田採鉱姿//新潟県東山油田の手掘井小屋//手掘井で使われた掘削用つるはしと滑車//明治初期の豆ランプと灯油差し//鉱区の測量に使われた器具//信濃川河口に建てられた灯台(石版新潟港)//わが国初の洋式灯台・観音崎灯台(明治2年)//手掘井時代の試掘願、同地図、許可証//桜の花をあしらった和製台ランプ//尼瀬の油屋・春日屋の看板//石油ランプの明かりを楽しむ母子(二十四孝見立画合) 〔1〕
沿革;役員 日本石油の誕生 明治18年(1885年)~明治24年(1891年) 写真、絵//当社初代社長 内藤久寛//発起人総代 山口権三郎//創立総会会場となった寺泊町の聖徳寺//創立時の社印と印影//尼瀬の本社事務所(明治21年石地から移転)//当社創業の明治21年に描かれた鹿鳴館舞踏会の錦絵//油井やぐらが林立する最盛期の尼瀬油田(明治中期)//当社創立趣意書草稿(内藤久寛筆)//尼瀬海岸の海面埋立地に建てられた手掘井小屋(明治中期)//当社製品が入賞した第4回内国勧業博覧会の会場入口(明治28年、京都)//当社尼瀬機械掘1号井跡の記念碑(明治24年成功) 〔1〕
沿革;事業所 本社の柏崎移転と東京販売店の設置 明治30年(1897年)~大正4年(1915年)頃 写真、絵//柏崎に完成した本社(明治35年)//蝙蝠印を染めぬいた印半纏//特約販売店の看板//本社事務室の執務風景//北越鉄道で使われた当社新潟鉄工所製の客車(明治30年)//北越鉄道柏崎駅(大正初期)//完成した隅田川油槽所(明治34年)//柏崎製油所を視察される皇太子殿下(大正天皇)(明治35年)//京橋におかれた東京販売店(明治32年)//西山油田の主力・長嶺油田の威容(大正4年ごろ)//わが国最大の近代的製油所といわれた柏崎製油所(大正4年ごろ) 〔1〕
沿革;事業所 宝田石油と小倉石油の創業 明治中期~大正7年(1918年) 写真、絵//宝田石油と小倉石油の地鎮祭(大正7年)//宝田石油初代社長 山田又七//宝田石油の社章入り鬼瓦//宝田石油東山油田の手掘井(明治中期)//長岡の宝田石油本社入口(明治中期)//宝田石油機械油新製品発売の記念絵はがき//小倉石油初代社長 小倉常吉//大正時代の小倉石油東京製油所(現・日本石油加工東京工場)//小倉石油東京本店と同事務室(明治40年代)//タンカー・小倉丸の銀製置物(昭和5年)//小倉石油加工東京工場付近に残る小倉石油の社章//小倉石油の製品看板と新年挨拶広告 〔1〕
沿革;提携・合併 インターナショナル石油の買収と秋田への進出 明治30年代~大正4年(1915年)頃 写真、絵//インターナショナル石油直江津製油所閉鎖寺の記念写真(明治40年)//インターナショナル石油直江津製油所//当社直江津製油所の荷造り作業(大正4年ごろ)//操業開始当時の秋田製油所(明治43年)//柏崎駅構内のタンク車の列(明治43年ごろ)//明治41年、秋田県初の成功油田となった旭川油田(大正4年ごろ)//柏崎製油所の製缶工場(大正4年ごろ)//当社製品が描かれた油屋のちらし広告(大正初期)//新潟県新津油田、柄目木3号井の大噴油(明治43年)//石油鉱業界に新紀元を画したアメリカから輸入のロータリー式掘削機(明治末期) 〔1〕
沿革;事業所 黒川5号井の大噴油 大正3年(1914年) 写真、絵//大噴油を伝える『石油時報』号外(大正3年5月)//5号井からあふれ出る原油(大正3年7月ごろ)//秋田市指定文化財となった5号井と指定書//5号井に続いて8号井も猛噴油(大正3年8月)//決死隊を募り取付けに成功した5号井坑口の噴油制限装置//原油は5号井からパイプラインで土タンクに噴出//土タンクに満々とたたえられた原油。背後の稜線中央に見えるやぐらが5号井 〔1〕
沿革;事業所 本社の東京移転と創立30年祝典 大正3年(1914年)~大正10年(1921年) 写真、絵//本社が移転した東京・丸ノ内の三菱21号館(大正3年)//大正初期に活躍した当社内航タンカー・虎丸//大阪・安治川油槽所の荷揚げ作業(大正3年)//新式タンク車を迎えて記念撮影(大正10年、安治川油槽所)//当社『事業統計』に掲載された製品販路の発展状況(大正6年)//新潟県大面油田噴油の絵はがき(大正6年)//両国国技館で拓かれた創立30年祝典で祝辞を述べる寺内首相(大正6年)//東京大正博覧会に大々的に出品(大正3年)//祝典会場の案内図//同会場で上演された喜歌劇の台本表紙//同会場で配られた記念絵はがきセット//島根県浜田の物産共進会に出品した当社製品(大正5年)//秋田製油所での当社創立30年祝賀仮装大会(大正6年) 〔1〕
沿革;商品 照明源から動力源へ 明治40年(1907年)~大正末(1926年)頃 写真、絵//当社特約店・大坪商店が輸入した沖縄初の自動車(大正5年)//わが国初の国産ガソリン車タクリー号(明治40年)//現存するわが国最古の輸入ディーゼル機関車(大正末ごろ)//新橋駅前で客待ち中のタクシー(大正初期)//自動車、飛行機、飛行船を描いた大正時代の東京駅風景(東京名所東京停車場之図)//新潟鉄工所製エンジンを積んだ漁船(大正8年)//東京駅前の当社ガソリンスタンド(大正11年ごろ)//当社製揮発油で大成功の冒険飛行家ナイルス(大正4年) 〔1〕
沿革;提携・合併 日本石油と宝田石油の合併 大正7年(1918年)~大正14年(1925年) 写真、絵//当社2代社長 橋本圭三郎//合併を報じる『石油時報』//東京・丸ノ内に本社ビル有楽館完成(大正11年)//日石・宝田の合併契約書と使用された同社の社印//合併後初の『事業要覧』(大正11年)//合併当時の新潟製油所//宝田石油のタンク車からの石油受入れ作業(大正7年ごろ、松江)//秋田県豊川油田を視察される皇太子殿下(今上天皇)(大正14年)//関東大震災の被害を報じる号外(大正12年)//関東大震災直後の燃える東京・丸ノ内//大正末期にはタンクローリーが登場//当社道路部が施工した明治神宮外苑のアスファルト道路図面(大正13年)と道路に埋められたプレート 〔1〕
沿革;事業所 太平洋岸製油所の建設と販売競争 大正13年(1924年)~昭和11年(1936年) 写真、絵//完成した鶴見製油所(大正13年)//当社製ガソリンで初の訪欧飛行に成功した「初風」と「東風」。フランス・リヨン空港で花束の贈呈を受けるパイロット(大正14年)//当社パンフレットに女性ドライバー登場(昭和初期)//当社も参加した北樺太石油開発に関する利権契約調印式(大正14年、モスクワ)//安売り合戦で猛威をふるった松方日ソ石油の給油所(昭和8年ごろ)//山口県に完成した下松製油所(昭和5年)//台湾錦水油田のガス大噴出(昭和8年)//大阪のガソリンスタンド(昭和5年ごろ)//タンクローリーが居並ぶ隅田川油槽所(昭和10年ごろ)//国産を強調する当社カレンダー(昭和11年)//激しい販売競争のなかで活躍したスタンド・ガール(昭和8年ごろ) 〔1〕
沿革 戦時統制のもとで 昭和10年(1935年)~昭和16年(1941年) 写真、絵//合併前の小倉石油横浜製鉄所(昭和11年ごろ)//日石・小倉の合併許可書//窮余の策、木炭自動車の登場(昭和13年)//各社品を一本化した石油共販製品目録//揮発油配給切符の表と裏//戦時中の社内報「日石報国」と「日石産報」//昭和10年以降当社の主力油田となった秋田県八橋油田//国内技術の粋を集めて完成した関西製油所(昭和12年)//薪炭も配給制に//各社ガソリンのマークは“富士桜”に一本化//「石油一滴血一滴」の垂れ幕を掲げる柏崎製油所(昭和15年)//石油製品公定価格表(昭和15年)//当社新潟圧縮ガス充填所で代替燃料LPガスを充填(昭和16年) 〔1〕
沿革 太平洋戦争始まる 昭和16年(1941年)~昭和18年(1943年) 写真、絵//開戦の日街角で(昭和16年)//戦う石油、社内報「日石産報」の表紙(昭和19年)//『少国民新聞』の付録・南方資源一周双六(昭和18年)//バレンバンの原油パイプライン通油式(昭和17年)//場に集結した関西製油所の徴用者(昭和16年)//バレンバン染料直後の炎上する製油所(昭和17年)//松根油用の松の根を振る女性たち(昭和18年)//航空潤滑油用減圧蒸留装置の建築を急ぐ下松製油所(昭和18年)//南方原油の油槽に当たった当社外観タンカー・力行丸//下松製油所産業報国青年隊のブラスバンド(昭和17年)//戦時下の帝国石油八橋油田//トラックへの給油が主となった富士桜マークの給油所 〔1〕
沿革 被災と終戦 昭和20年(1945年) 写真、絵//爆撃された関西製油所の跡片付けに汗を流す社員たち(昭和20年)//秋田製油所の殉職碑//終戦の大詔に涙する人びと(昭和20年)//廃墟と化した下松製油所(昭和20年) 〔1〕
沿革 復興への歩み 昭和20年(1945年)~昭和23年(1948年) 写真、絵//マッカーサー連合国最高司令官(昭和20年)//都電と露天、自動車もまばらな銀座(昭和23年)//終戦間もなくの新橋駅前、闇市に集まる人々(昭和20年)//新憲法公布の詔書(昭和21年)//天皇陛下秋田製油所へ行幸(昭和22年)//昭和21年に本社が入居した三菱仲5号館//秋田製油所を視察するストライク調査団//ニッセキスキーワックスのラベル(昭和22年)//秋田製油所第1期復興工事完成火入式(昭和21年)//特殊製品スペリオ頭髪用香油とポニー靴クリームのりん議書(昭和23年) 〔387〕
沿革;提携・合併 カルテックスとの提携 昭和24年(1949年)~昭和26年(1951年) 写真//カルテックスグループ・バーレン製油所(昭和24年ごろ)//カルテックスの前身テキサコの看板(大正時代)//地図をあしらった提携の広告(昭和24年)//カルテックスの鶴見ターミナル(昭和26年ごろ)//隅田川油槽所に勢ぞろいしたカルテックスマーク入りの当社タンクローリー//カルテックスの英文広告(昭和26年)//わが国戦後初の外国原油第1船。ブラットパーク号、当社へのアラビア原油を積み長崎に入港(昭和24年)//カルテックスマークの社有給油所第1号開所式(昭和24年、横浜・本牧)//カルテックスマークをつけた柏崎の特約店・中村石油(昭和26年ごろ)//当社とカルテックスの委託販売契約書の一部と両社首脳の署名(昭和24年)//カルテックス石油製品カタログと適油一覧表(昭和24年) 〔387〕
沿革;業界 元売指定と日本石油精製の発足 昭和24年(1949年)~昭和26年(1951年) 写真//アメリカ第8軍許可の看板を付けた横浜製油所の正門(昭和25年)//日精設立のため佐々木社長渡米(昭和25年)//元売指定の新聞記事(昭和24年)//再開なった横浜製油所(昭和25年)//再開に向けて下松製油所被爆タンクの復旧工事も急ピッチ(昭和24年)//製油所再開を告げる広告(昭和24年)//日精創立祝賀パーティ(昭和26年、下松)//日精の株券//特約店招待会の景品はコウモリ灯油コンロ//再開した下松製油所(昭和26年)//東京・田村町給油所のネオンサイン(昭和31年ごろ、現・日石本館所在地)//東京タンカーの所有第1船となった日精丸(昭和26年) 〔387〕
沿革;関係会社 高度経済成長と日本石油化学の発足 昭和30年(1955年)頃~昭和35年(1960年) 写真//新装なった日石ビルディング(旧有楽館、昭和31年)//LPガスタンカー・日石丸の処女航海(昭和37年)//コウモリと星の連鎖マークのモデル給油所・八重洲給油所(昭和30年ごろ)//横浜製油所拡張近代化工事完成披露会。重光副総理(昭和30年)//室蘭製油所稼働を前にした社員たち(昭和31年)//ガソリンの広告と特約店のカラフルなマッチ(昭和30年ごろ)//日本石油化学初の主力装置IPA・アセトン第1製造装置(昭和32年)//日本石油瓦斯川崎充填所(昭和31年)//マナスル登山隊をサポートした当社製品(昭和31年)//南極観測で毎回活躍する当社製品(昭和34年ごろ)//厳寒の秋田製油所出勤風景(昭和34年)//高まるモータリゼーション。安全対策として小学生の黄色い帽子も登場(昭和35年ごろ) 〔387〕
沿革;事業所 根岸製油所と石油基地の建設 昭和36年(1961年)~昭和51年(1976年) 写真//中央技術研究所をご見学の皇太子殿下(昭和38年)//建設中の日石本館(昭和36年)//50年切手に登場した日精丸(昭和51年)//フランス深海潜水艇に特殊ガソリンを納入//ジャンボ機への納入開始(昭和45年)//オリンピック東京大会での聖火点火//中研で作られた聖火灯油(昭和39年)//好評を博した日石灯油の広告(昭和39年)//建造中の日石丸。世界最大の37万2698重量トン、全長347メートルを誇った(昭和46年)//建設中の根岸製油所主要装置群(昭和38年)//燃料費の格安な灯油ストーブに人気集中(昭和37年)//埋立造成が進喜入基地(昭和43年)//ハイウエイ時代の到来、名神高速道路の一宮サービスステーション 〔387〕
沿革;経済 石油危機を越えて 昭和48年(1973年)~昭和59年(1984年) 写真//石油危機の発生を報じる新聞(昭和48年)//カルテックスからの原油安定供給確保を発表する当社首脳ら(昭和48年)//給油所も日曜・祭日休業へ(昭和48年)//朝日広告賞を受賞した当社の省エネルギー広告(昭和53年)//放出された洗剤に主婦が殺到(昭和49年)//省エネルギーセンター配布の寒暖計とステッカー//石油危機乗切りに競走馬も健闘(昭和48年)//節約のためネオンを消した銀座(昭和48年)//第2次石油危機の引き金となったイラン革命(昭和53年)//室蘭製油所で減圧残油水素化脱硫装置建設開始(昭和56年)//日本石油開発、西九州沖大陸棚の音波探査を開始(昭和54年)//無鉛ガソリン登場(昭和50年)//東京ディズニーランドの当社提供施設//新シンボルマーク誕生。サインボールの製作に大わらわ(昭和58年)//新ガソリン名、「日石ダッシュ」に決まる(昭和59年) 〔387〕
沿革 BEGIN THE NEXT 昭和61年(1986年)~昭和63年(1988年) 写真//西九州沖の隊力だなで試掘を行った第V白竜号//根岸製油所第3接触改質装置完成(昭和61年)//「日石ダッシュレーサー100」の広告(昭和62年)//都市対抗野球6度目の優勝なる(昭和61年)//「新潟サンライズゴルフコース」オープン(昭和61年)//喜入基地に初入港した東京丸(昭和62年)//日石・シェプロン共同開発調印時の両社首脳(昭和62年)//テキサコ社内報に掲載された共同開発リグ(昭和62年)//当社グループが開発した初の国産燃料で打ち上げられたH-Iロケット(昭和61年)//当社と三菱石油との提携で室蘭製油所からスタートする同社タンクローリー(昭和59年)//給油所併設の日石渋谷ビル完成予想図//「日石100年」の社内ポスター(昭和63年) 〔387〕
事業所 現況 写真、新潟製油所、室蘭製油所、横浜製油所、沖縄製油所 〔414〕
事業所 現況 写真、根岸製油所、中央技術研究所、喜入基地、下松製油所 〔414〕
経営 現況 写真、船舶への重油納入(神戸)、発電所への潤滑油納入(千葉・富津)、航空機へのジェット燃料油納入(羽田空港)、サービスステーションの活動(大阪・岸和田) 〔414〕
施設 現況 写真、流氷寄せる浜辺の道を行くタンクローリー(北海道・オホーツク海岸)、南国の油槽所へ荷揚げをするタンカー(奄美大島)、早朝一斉にスタートするタンクローリー(市川油槽所) 〔414〕
事業所 本社社屋 写真 p911
役員 歴代社長 写真、初代 内藤久寛、2代 橋本圭三郎、3代 水田政吉、4代 小倉房蔵、5代 渡辺譲吉、6代 佐々木弥市、7代 栗田淳一、8代 上村英輔、9代 滝口丈夫、10代 岡田一幸、現社長 建内保興 p912
役員 現役員 昭和62年6月26日撮影 写真、常務取締役 鹿島実、常務取締役 野田進一郎、常務取締役 岩本賢太郎、取締役社長 建内保興、取締役副社長 石川公通、常務取締役 藤井昌太、常務取締役 山本清、取締役 田中一正、取締役 野垣孝、取締役 桜井英太郎、取締役 大沢秀次郎、取締役 高木陽二、取締役 井上茂、取締役 渡秀夫、取締役 犀川健三、取締役 富田和雄、取締役 小島国成、常勤監査役 笠川信夫、監査役 鈴木淳三郎、監査役 笹岡安一 p914
役員 役員在任期間 明治20年~昭和62年6月26日現在 図、常務理事、理事、会長、社長、副社長、専務、常務、取締役、常任(常勤)監査役、監査役、氏名、就任年月日、退任年月日 p916
沿革 日石の系譜 明治20年~昭和63年2月1日 沿革図、会社名、開業・設立・改称・合併・買収・資産買収・出資・解散年月日 p920
定款 原始定款 明治21年2月20日 有限責任日本石油会社定款、条文 p922
規則 申合規則 明治21年5月10日制定 有限責任日本石油会社申合規則、条文 p923
定款 現行定款 定款、条文 p925
従業員 従業員数の推移 明治21年~昭和62年 表、職員、工(鉱)員、合計 p927
従業員 従業員数の推移 昭和22年~昭和20年10月 表、日石社員数(男、女、合計)、日石および日精社員数(男、女、合計) p927
組織 組織の主な変遷 明治34年1月~昭和48年4月1日 日本石油、日本石油精製、組織図 p928
組織 現行組織 昭和62年12月末現在 日本石油株式会社、日本石油精製株式会社、組織図 p933
事業所 事業所配置図 昭和62年12月末現在 日本地図、油槽所、直営油槽所、全面委託油槽所、日石・日精製油所、日石グループ製油所、石油基地 p936
事業所;沿革 主要事業所所在地の変遷 明治21年5月~昭和61年12月 本社、研究所、製油所、支店、年月日、住所 p938
関係会社 主要関連会社 概要 昭和63年2月末現在 表、社名、設立年月日、資本金、本社所在地、事業内容 p940
関係会社 主要会社関連 関連図 昭和63年2月末現在 出資比率、会社名 p941
財務・業績 貸借対照表 明治22年3月~昭和62年3月 表、期、決算年月、資産の部{流動資産、固定資産(有形固定資産、投資等)、資産合計}、負債の部(流動負債、固定負債、負債合計)、資本の部{資本金、資本準備金、利益準備金、剰余金(うち当期未処分利益)、資本合計}、負債・資本合計 p942
財務・業績 損益計算書・利益処分 明治21年5月~昭和62年3月 表、期、期間、損益計算書(売上高、営業損益、営業外損益、経常利益、税引前当期利益、当期利益)、利益処分(利益配当金、配当率、役員賞与金、利益準備金ほか) p950
生産 国産原油生産量の推移 明治21年度~昭和61年度 表、日石生産量、日石生産量油田別順位、石油全社合計 p958
貿易 主要地域別原油輸入量の推移 大正12年~昭和61年度 表、北米、南米、ソ連、中東、南方、中国、その他、合計、日石・日精合計、石油全社合計 p960
製品;貿易 主要製品輸入量の推移 昭和23年~昭和60年度 表、ガソリン、ナフサ、ジェント燃料油、灯油、軽油、重油、潤滑油、その他、合計、日石・日精合計、石油全社合計 p962
施設 日石グループ常圧蒸留装置能力の推移 明治20年~昭和60年 図、製油所名、新設・増設・拡張・編入・廃止年月日 p964
施設 日石グループ常圧蒸留装置能力の推移 明治20年~昭和60年 表、年、日石(柏崎、新潟、秋田、日石合計)、日精(横浜、下松、室蘭、根岸、沖縄、日精合計)、日本海石油富山、興亜石油麻里布・大阪、日石グループ合計、石油全社合計 p966
製品;生産 主要製品生産量の推移 明治33年~昭和61年度 表、揮発油、ガソリン、ナフサ、ジェット燃料油、灯油、軽油、重油、潤滑油、その他、合計、日石・日精合計、石油全社合計 p968
施設;業界 油槽所数・貯油能力の推移 明治34年~昭和62年 表、油槽所数(社有、商品寄託・借上委託、合計)、油槽所貯油能力(タンク基数、容量)、石油全社油槽所容量 p971
施設 自社所有外航タンカーの変遷 昭和12年10月~昭和63年4月27日予定 表、船名、船主、建造・購入(造船所名・購入先名、年月日)、重量トン、就航期間、備考 p972
製品;販売 主要製品販売量の推移 大正11年~昭和61年 表、揮発油、ナフサ、ジェット燃料、灯油、軽油、重油(A重油、B重油、C重油、小計)、燃料油合計、潤滑油、アスファルト、パラフィン、グリース、合計、石油全社合計、ガソリン p974
商品;商標 主要商品銘柄の変遷 明治23年~昭和62年 表、揮発油、灯油、軽油、重油、潤滑油、自動車用潤滑油、自動車用以外の潤滑油 p976
製品;需給 全国主要製品需要の推移 明治元年~昭和61年 表、揮発油、灯油、軽油、重油、機械油、潤滑油、ナフサ、ジェット燃料油、輸入、生産量、販売量 p980
関連会社 特約店・給油所・「日石灯油の店」数の推移 大正3年~昭和62年 表、年、特約店、給油所、「日石灯油の店」 p983
関連会社 特約店名簿 昭和62年12月末現在 リスト、会社名 p984
沿革 年表 B.C.7000~1988 年表、日石関連事項、内外石油関係・一般事項 p992
索引 索引 項目、ページ p1036
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