(株)神戸新聞社『神戸新聞五十五年史』(1953.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
9月1日 九ポイント十五字詰十段制とした。七千号記念特集十六ページ。社説「七千号の辞」を掲げた。七千号記念懸賞漫画絵とき発表。
9月4日 七千号記念のため四活動写真館を読者に開放した。
10月4日 王子製紙水害のため各社協定により当分四ページに減頁した。
10月9日 六ページとした。
10月12日 常建八ページに復した。
10月24日 鹿島丸再度独潜水艦と戦うニュースとともに、下祇園町戸沢船長宅訪問記事を載せた。
10月30日 八.五ポイント十六字詰十段制とした。
11月4日 物価騰貴により新聞定価本月分より一ヶ月四十五銭に値上。千苅水源地通水式特集。
11月30日 米珍客ハーデイ翁来神を報じた。神戸郵便局焼失を報じた。
12月1日 煙草値上(バット六銭、スター十銭)を報じた。
12月4日 県立商業の焼失を報じた。
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 二十ぺージ。讃岐金刀比羅宮神前祈念素焼白盃を月極読者に贈った。
1月4日 特集「神戸海運界の推移」。「神戸の今昔」
1月21日 浜田佳澄主筆として入社。
1月 【是月】編集部を編集局とし、芝本清次を局長、和田恒彦を同副長、藤田進一郎を政治部長、海原清平を通信部長、西村義則を社会部長とし、営業部を営業局とし、桑原道喜を局長、向井勘兵衛を広告部長、米沢木代松を会計部長とし少壮社員を採用大いに充実を図った。
2月10日 レーニン殺害、トロッキー拘禁を報じた。
2月11日 二十周年記念号十二ページ。(四月三日記念号追刊)附録「開港五十年記念神戸地図並に五十年前の神戸地図」
3月4日 常陸丸撃沈を報じた。
3月5日 博多丸、独潜航艇撃沈を報じた。
4月3日 創刊二十周年追加記念二十ページ。特集「神戸新聞回顧二十年の歴史」
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