吉沢石灰工業(株)『100年のあゆみ』(1973.11)

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目次項目 ページ
ごあいさつ NP
口絵 巻頭
沿革編 p3
1章 吉沢商店の創業 p3
1 清和源氏の流れをくむ吉沢家 p3
近世までの葛生 p3
新田大炊介義重 p5
新田の後裔と佐野庄 p7
渡辺崋山と吉沢家 p9
明治までの葛生の産業 p10
2 初代吉沢兵佐、石灰業を開始 p12
石灰の歴史 p12
つぼ竈、竪竈と谷焼竈 p15
吉沢兵佐、石灰製造を始める p18
浅野工場へ原石納入までの経過 p22
3 石灰工業のあけぼの p23
七輪窯の出現 p23
請負制度の採用 p24
安蘇馬車鉄道の開設 p25
大叶工場の開設 p29
初代兵佐の逝去 p30
2章 事業の基盤を確立 p32
1 2代吉沢兵佐、事業を継承 p32
19歳で家督を継ぐ p32
重工業の勃興 p32
佐野鉄道と東武鉄道の合体 p34
野州石灰製造同業組合の発足 p35
2 日本鋼管株式会社と取引き開始 p37
日本鋼管の創立 p37
第1次世界大戦の勃発 p38
日本鋼管へ生石灰の納入開始 p40
ドロマイトの発見 p41
大正初期の業態 p42
3 関東大震災と石灰工業 p43
砕石の販売を始める p43
関東大震災起こる p45
3章 吉沢石灰工業株式会社の設立 p49
1 吉沢石灰工業所と改称 p49
採石部門の機械化 p49
社名の変更 p51
生産規模の拡大 p53
世界恐慌と石灰工業 p55
2 日本ドロマイト工業の設立 p58
2代兵佐の事業意欲 p58
日本ドロマイト工業の誕生 p61
日本コンクリートポールの設立 p63
富国セメント株式会社の創設 p64
3 吉沢石灰工業所を改組 p66
急を告げる内外情勢 p66
農業の不振と肥料用石灰の共販 p69
個人組織から法人組織へ p69
太平洋戦争の勃発 p72
4章 近代企業への脱皮 p76
1 混迷の中の生産再開 p76
急変する国内体制 p76
激化するインフレの嵐 p77
混乱期の当社と石灰工業 p80
2 3代吉沢兵佐の社長就任 p83
動乱ブームと近代化への出発 p83
2代兵佐の逝去 p85
3代兵佐の社長就任 p87
秩父への進出 p89
苦土肥料の開発 p90
3 高度成長への胎動 p92
高度成長を続ける日本経済 p92
奥多摩化工株式会社の設立 p93
採鉱技術の発展 p96
鋼管化工株式会社の設立 p99
現況編 p105
1章 日本鋼管とともに躍進 p105
1 新たなる飛躍 p105
高度成長の再開 p105
組織の整備 p108
蓑輪鉱区の開発 p109
蓑輪坑の大陥没 p112
2 独自の生産技術 p115
大型機械採鉱技術の確立 p115
重油焚き焼成炉の導入 p117
海外技術指導員の派遣 p123
3 千葉県・君津へプラント設置 p123
八幡製鉄株式会社の概要 p123
君津への進出なる p124
建設工事の開始 p127
2章 将来への展望 p132
1 当社の進むべき道 p132
2 三峰開発の必要性と意義 p133
3 組織・人事について p134
4 調和ある企業体の形成 p135
関連会社 p137
日本ドロマイト工業編 p145
1章 日本ドロマイト工業の設立 p145
1 ドロマイト工業の夜明け p145
洋式製鋼法の採用 p145
ドロマイト鉱床の発見 p146
2 日本鋼管と共同出資で会社新設 p147
鉄鋼需要の増大 p147
トーマス転炉の採用 p148
会社設立へ p149
焼成の開始 p151
3 準軍需工場の指定 p154
戦時統制の強化 p154
戦時のドロマイト工業 p156
2章 自力更生への道 p158
1 日本鋼管から分離独立 p158
敗戦と国体の急変 p158
新生日本ドロマイト工業 p159
不消化ドロマイトの研究開始 p161
ドッジ・ラインと朝鮮戦争 p162
2 設備の近代化 p164
前橋研究所で重油焼成の研究開始 p164
連続増資と設備の更新 p168
3 技術革新続ける鉄鋼業界 p169
神武景気と第2次設備合理化 p169
試験室の設置 p171
3章 転機を迎えるドロマイト工業 p173
1 吉沢茂一の社長就任 p173
業界の功労者 p173
人員整理と前橋研究所の閉鎖 p174
2 合理化担う新鋭設備 p176
焼成炉と製品の改良 p176
ベッケンバッハ式竪型焼成炉の採用 p179
3 新境地めざす経営の多角化 p179
商事部発足とカラーサンドの生産 p179
日本ドロマイト工業の将来 p180
資料編 巻末
あとがき NP
索引リスト
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